流鉄流山線 - なの花号引退さよなら運転 -
いつか来るだろうと思っていた日が来た。
2013年4月28日、流鉄流山線最後の2000系「なの花号」がラストランを行い、流鉄での16年間の運行を終えて引退した。
「なの花」は私より4歳年上。
1966年に西武所沢車両工場で誕生し、1997年に第二の故郷である現流鉄流山線にやって来た。
流山駅(2013年4月28日)
年配者ばかりなのに色とりどりで可愛らしい流鉄車両たち。
その流鉄車両の家であり、第二の故郷である流山駅。
流山に「なの花」が戻ってきた。
きっと「なの花」にとってこの瞬間がもっともホッとするんだろうなと勝手に想像する。
流鉄を訪れるのは今回が7回目。
私が一番好きなのが流山駅。ここに来るととても心が落ち着く。
人ごみが苦手なので、流鉄を訪れる際は乗換駅の南越谷と新松戸までの武蔵野線の車内にげんなりすることが多いのだが、それを我慢できるのも流鉄に乗り換えて流山に来れば落ち着けることを知っているから。
その流山駅。
最終日だけあって人は多かったが、これまでのラストランに比べて親子の姿が目立ったのがこの日の特徴だった。
これがきっと子供たちを惹きつける「なの花」の魅力なのだろう。
思えば震災直後の「さよなら流山幼稚園号」の運行を担ったのも「なの花」だった。
平和台-流山(2013年4月28日)
流鉄を訪れると決まって「なの花」が走っていた。
「またなの花か」とうんざりしたこともあったけど、たまに走っていないときに出くわすと「どうしたんだろう」と気になり、戻ってから流鉄関連の情報を探したりしたのも「なの花」の持つ不思議な魅力の一部なのかもしれない。
流山駅(2013年4月28日)
そんな「なの花」もとうとう流鉄を離れるときが来た。
「あとは頼むよ」
そんな思いを後輩に託して駅を発ったのだろうか。
湯飲みは2個買った。
鉄道関連のグッズは衝動買いやちょっとした気持ちで購入することが多く、本当に欲しくて買うことは殆ど無いので、いつも袋に入れたまま押入れにしまいこんでしまう。
今回はそうしたくなかったので2個買った。
なにげなく湯飲みに目を向けたとき、撮影した写真とともに思い出に浸れるよう、1個は傍らに置いて使い続けることにした。だから2個買った。
なの花号、16年間のお勤め本当にお疲れ様でした。