カテゴリー「流鉄流山線」の記事

2013年4月30日 (火)

流鉄流山線 - なの花号引退さよなら運転 -

いつか来るだろうと思っていた日が来た。

2013年4月28日、流鉄流山線最後の2000系「なの花号」がラストランを行い、流鉄での16年間の運行を終えて引退した。


「なの花」は私より4歳年上。
1966年に西武所沢車両工場で誕生し、1997年に第二の故郷である現流鉄流山線にやって来た。





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流山駅(2013年4月28日)

年配者ばかりなのに色とりどりで可愛らしい流鉄車両たち。
その流鉄車両の家であり、第二の故郷である流山駅。

流山に「なの花」が戻ってきた。
きっと「なの花」にとってこの瞬間がもっともホッとするんだろうなと勝手に想像する。





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流鉄を訪れるのは今回が7回目。

私が一番好きなのが流山駅。ここに来るととても心が落ち着く。

人ごみが苦手なので、流鉄を訪れる際は乗換駅の南越谷と新松戸までの武蔵野線の車内にげんなりすることが多いのだが、それを我慢できるのも流鉄に乗り換えて流山に来れば落ち着けることを知っているから。





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その流山駅。
最終日だけあって人は多かったが、これまでのラストランに比べて親子の姿が目立ったのがこの日の特徴だった。

これがきっと子供たちを惹きつける「なの花」の魅力なのだろう。
思えば震災直後の「さよなら流山幼稚園号」の運行を担ったのも「なの花」だった。





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平和台-流山(2013年4月28日)

流鉄を訪れると決まって「なの花」が走っていた。

「またなの花か」とうんざりしたこともあったけど、たまに走っていないときに出くわすと「どうしたんだろう」と気になり、戻ってから流鉄関連の情報を探したりしたのも「なの花」の持つ不思議な魅力の一部なのかもしれない。





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流山駅(2013年4月28日)

そんな「なの花」もとうとう流鉄を離れるときが来た。


「あとは頼むよ」

そんな思いを後輩に託して駅を発ったのだろうか。





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湯飲みは2個買った。

鉄道関連のグッズは衝動買いやちょっとした気持ちで購入することが多く、本当に欲しくて買うことは殆ど無いので、いつも袋に入れたまま押入れにしまいこんでしまう。


今回はそうしたくなかったので2個買った。
なにげなく湯飲みに目を向けたとき、撮影した写真とともに思い出に浸れるよう、1個は傍らに置いて使い続けることにした。だから2個買った。


なの花号、16年間のお勤め本当にお疲れ様でした。

2013年3月23日 (土)

春の流鉄

土曜は東武線の始発に乗って流鉄流山線の撮影へ。

しかし東武にしてもJRにしても始発はいつも乗客が多い。朝帰りの人や山登りの人はともかく、乗客にそんな人は1割も見かけないし、殆どは成人男性というのも始発の特徴。みんなどこへ行くんだろう。






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5000系「若葉」 馬橋-幸谷(2013年3月23日) 通過時刻7:31

三代目若葉。初撮影。

若葉で思い出すのがおととし引退した二代目若葉。
二代目若葉は初めて流鉄を訪れたときには既に休眠状態になっており、走行写真はさよなら運転のときしか撮れなかったのが心残り。





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5000系「流星」 馬橋-幸谷(2013年3月23日) 通過時刻7:40

来月なの花が引退したら車両は全て新101系に置き換わるのだろうか。

いつまでも古い電車が動いていられるわけないのだから、思い出にしがみつくのはやめようと思うのだが、かつての701系や101系辺りは物心付いた頃には新しい姿で走っていただけに、忘れろといわれても忘れられない。かの西武電車が全国から消えても、私のなかには生き続けると思う。

2012年7月16日 (月)

流鉄流山線 - 青空号引退さよなら運転 -

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鰭ヶ崎-小金城趾(2012年7月15日)

若葉号が引退したのは昨年5月。

物には寿命があるとはいえ、今年も伊豆箱根鉄道1100系を皮切りに元西武の古株たちが役目を終えているのを見ると、寄る年波にはやはり勝てないんだなと実感させられます。





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平和台-流山(2012年7月15日)

「青空」は西武時代はおもに新宿線で活躍していたそうですが、私は池袋線沿線住まいだったので、もしかしたら青空には西武時代に乗っていたかもしれないという淡い期待は残念ながら持てそうもありません。





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平和台-流山(2012年7月15日)

子供の頃、物と心を通わせる能力があればいいなと考えていました。

…とは言いながら、もし憧れの新幹線やレーシングカーなんかが実は奴隷のように暗く重い気持ちで“働かされている”のだとしたら、それはあまりにもつらい。
それなら物の心なんか分からないほうがいい…と考え直すのがいつものことでした。





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でも、もし青空になにかひとつ聞けるとしたら、流鉄時代は幸せだったかを聞いてみたい。
もちろん「幸せだった」という返事を期待したうえで。





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青空が18年間働いた第二の故郷。

若葉は春に去り、青空は夏にここを去った。なの花はいつ去るのだろう。





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青空は最初で最後の乗車でした。

今年6月に伊豆箱根鉄道1100系(元西武701系)が引退し、いよいよ西武電車も見納めのときが近づいているなという気持ちが強くなりました。





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後輩たちに見送られ最後の走りを見せる青空。

この日、あかぎが露払いを任され、その後なの花とのツートップで運行したのには、なにか特別な意図があってのことだったのでしょうか。私にはとても粋な計らいに感じました。


青空号、18年間のお勤め本当にお疲れ様でした。

2012年6月 3日 (日)

流鉄流山線

土曜は一日曇り模様。
晴れたらユーカリが丘線再訪、曇ったら流鉄に行く予定だったので素直に流鉄へ。





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5000系「流星」 馬橋→幸谷(2012年6月2日)

武蔵野線の「新松戸」で降り、幸谷から馬橋まで散歩がてら徒歩でロケハン。

…といいながらも流鉄は大半が住宅地の隙間を縫うように走っているので、どこでも撮れそうで撮れそうな場所がなかなかないのが、ちょっともどかしい。






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5000系「流星」 幸谷→馬橋(2012年6月2日)

馬橋駅から幸谷に向かって500mほどの歩道橋。

元西武電車が活躍している路線に訪れると不思議と似たような光景に出会います。
ここも伊豆箱根鉄道の三島二日町の富士山と一緒に撮れる橋からの眺めに似ていて、こじつけっぽいですが、昔、各地に散っていった元西武電車たちの“結びつき”のようなものをなんとなく感じます。






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5000系「流馬」 幸谷→馬橋(2012年6月2日)

だからといって『西武電車は遠く離れても心はひとつ』なんて臭いことは書きませんが、伊豆箱根1100系や上信、流鉄などの元西武電車の古株たちは、とうに西武を去り、身も心もいまの路線に置いているのだから、もし彼らに“心”があるのならば、本人たちもきっと今の環境に満足しているだろうし、そうであってほしい。

現在の環境に嫌気を感じながら引退を待つような気持ちではいてほしくない。






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5000系「流星」 流山駅(2012年6月2日)

だから本人(電車)たちが現在の環境に満足しているなら、今の環境のまま引退させてやればいいんです。

これが先日、伊豆箱根鉄道1100系の記事にリバイバル塗装を好まないと書いた理由のもうひとつで、そういうのって私たちの立場に置き換えると、とっくの昔に辞めた職場の制服を着用させられて引退パーティーに引っ張り出されるようなことだと思うんですよ。






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2000系「青空」 流鉄車庫(2012年6月2日)

深読みしすぎなんだろうけど、根がマイナス思考なのでそう思ってしまうんです。

まあとにかく、私のなかでは「青空」は元西武鉄道801系という身分にあって、その昔は新宿線で毎日のように通勤ラッシュを捌いていたいわば名選手で、現在は流鉄2000系2001編成として過去に縛られることなく余生を送り、最後まで前を見たまま引退できる幸せ者なのだと…

…そう考えればいいだけのこと。そう考えよう。






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5000系「あかぎ」 流鉄車庫(2012年6月2日)

新人の「あかぎ」が、引退を前にたそがれる大先輩を遠慮がちにチラチラと…

この頃の西武電車って顔がかわいいと思いませんか。
とにかくかわいい。女子高生がカバンに付けてる小さいぬいぐるみにして売れば馬鹿売れするんじゃないかと一瞬勘違いしそうになるほどかわいい。





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7月15日は締めは乗りで見送ろうかな。
青空には一度も乗れなかったし。






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参考までに。

左上:青空引退記念入場券(4枚セット)
左下:流鉄各駅停車入場券(流山駅発売のもの) ※他3駅でも発売中
中:「青空」日本手ぬぐい
右:「若葉」日本手ぬぐい ※若葉グッズの一部は現在も流山駅で発売中

2011年5月15日 (日)

流鉄流山線 - 若葉号引退さよなら運転 -

5月15日(日)は流鉄流山線「若葉」の最後の晴れ舞台ということでサイクリングがてら自転車で流山に行ってきました。


朝6時過ぎ出発。流山駅まで約35km。
流鉄線沿線は交通量が多いので
早めに出発して混みあう前に撤収することにしました。
往路は
こんなルート(キョリ測)で江戸川橋梁から先はサイクリングロードを使いました。

総走行距離87.5km。2年前は散歩程度にしか感じなかった距離なのに今では辛うじて走り切れる距離なのが悲しい。右足もまた痛み始めたし。



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流山-平和台


8時前に流山駅に到着。まずは足をケアしてコーヒーを飲んで一息。
8時時点では
「なの花」「流星」のツートップでした。

「若葉」
のさよなら運転が始まる午前9時前になると、流山駅に戻ってきたなの花が2番線(写真左側の車線)に退き、若葉流星のツートップ運行になりました。



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鰭ヶ崎-小金城趾

流鉄沿線で一番好きなポイントです。ラストランはここで1本は撮ると決めていました。


ちなみにこのときは停止寸前の速度で通過しました。
線路沿いの際どい位置に撮影者が密集していたので警戒したのかもしれません。




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流山-平和台


鰭ヶ崎を経由して小金城趾まで様子を見に行ったものの、沿線のポイントは撮影者がたくさんいたのと、午前中に切り上げたかったことから流山駅に引き返し、最後に一発撮って帰路に着きました。



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昔、
若葉が西武線を走っていた頃、私は若葉に乗ったことがあったのかもしれないし、もしかしたら一度も無かったかもしれません。

…いまとなっては確かめようがありませんが、いずれにしても今日見た
若葉は私が子供の頃に見ていた“電車”そのものだったし、その姿はこれらの写真を通じて記憶に残り続けると思います。

2011年3月21日 (月)

流鉄流山線 - さよなら流山幼稚園号 -

大震災から1週間。

北斗星も当分走らないし、SLも自粛ムード。
そのうち撮り鉄なんか飽きてどうでもよくなるのかな…と考えたら寂しくなってきたので、流鉄流山線の「さよなら流山幼稚園号」を撮りに行きました。




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なの花「さよなら流山幼稚園号」 小金城趾-幸谷

さよなら運転は
「なの花」(元西武鉄道701系)が担当していました。
列車前面には幼稚園手作りの特製ヘッドマークが掲げられています。

ちなみに車内には「流山幼稚園の歴史」などが提示されています。




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ヘッドマークは手製なので流山方と馬橋方では微妙にイラストが異なります。
桜の花の形をしたメッセージ欄には園児たちと先生たちのメッセージが書かれています。

プライバシーの関係で氏名およびその特定に結びつく写真は掲載できませんが、園児らしい夢のあるメッセージが多かったので、その一部を転載させていただきます。
ちなみにいちばん多かったのは「AKB48になりたい(アイドルになりたい)」でした(^^)



「ながれやませんのうんてんしゅ
(男の子)
「でぃずにーのおねえさん(女の子)
ようちえんのせんせい」(女の子)
「さっかーせんしゅになりたい(男の子)
「えがおを忘れないで げんきでね」(先生)




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流鉄線の各駅にはこんな案内が掲示されています。
期間は3/27までで、走行時間帯はなの花号のその日の始発から終電までのようです。





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どんな所か気になったので行ってみました。ここが流山幼稚園です。
平和台駅から線路沿いに南に200mほど進むと左手にあります。

どういった事情で閉園となったかは分かりませんが、車の通行量がかなり多い道路に面しているので、一目危ない場所だなとは思いました。





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青空 小金城趾-幸谷

この日、「なの花」とペアを組んでいたのは「青空」(元西武鉄道801系)でした
「青空」の走行写真を撮るのは今日が初めてです。




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そしてこれが新車両
「流星」(元西武鉄道新101系)。
新型車両登場ということで特製ヘッドマークが掲げられていました。





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行きに小金城趾→流山、帰りに平和台→幸谷まで「さよなら号」に乗り鉄し、幸谷駅の近くで見送ってから流鉄を後にしました。


この後はJR新松戸駅から常磐線経由で秋葉原へ。

秋葉原で久しぶりに会った知人と再開を祝い、少し遊んでから宇都宮線で帰りました。
ガソリン不足の影響か、間引き運転されなかった路線もそこそこ人が多かったです。

2011年2月 6日 (日)

流鉄流山線再訪~リゾートEXPゆう~北斗星

先々週(記事はこちら)に次いで「流鉄流山線」へ。

武蔵野線の南流山駅からロケハンを兼ねて小金城趾駅まで歩きました。





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鰭ヶ崎-小金城趾。小金城趾駅から200mほど北の鉄橋。

水鏡に映った列車との位置関係を重視して、ここで切ったものを採用しました。
構図や切り位置がなかなかまとまらず、結局列車5本ほど張り付きました。





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小金城趾駅。
流鉄で唯一、上下線の交換を行っている駅です。




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一度この交換シーンを撮りたかった(^^)

これを撮ったあと、馬橋から折り返してきた
「なの花」(左の黄色い列車)に乗って終点の流山駅に向かいました。




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流山駅。

「若葉」「流星」も先々週から動いた様子は見られず。

流星
(2月運行開始予定)を動かすには、前にいる若葉を移動する必要があるのでそのときは両者の移動シーンを見られるはず。日時が分かればなぁ…





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最近は流馬なの花のツートップで運行されているようです。

ところで、列車と線路にだいぶガタが来ているのが気になりました。
列車の先頭から前を見ていると線路があちこちが歪んでいるのが分かるし、そんな線路では車輪にもダメージが……なんて心配してしまいます。





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「流馬」出陣。(前回なの花の発車シーンを撮影したポイント)

動けない若葉に代わって働き続ける流馬
夕方のこのシーンが撮りたかったので、もう一度ここに来ました。

このポイントは周囲の倉庫などで日が遮られてしまうので、走行する列車に夕日が差すのは一瞬しかありません。予行練習を経てその瞬間を狙いました。




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流山駅で流鉄グッズが売っていたので、今後の期待を込めて購入しました。

・流星てぬぐい(480円)
・なの花ハンドタオル(350円)
・流山駅硬券入場券(140円)

硬券といえば収集家(マニア)ですが、駅員さんもその辺手馴れていて、「入鋏の有無」と「入鋏する箇所」と「日付印の有無」を聞かれました。
マニアの間では入鋏の位置や日付印の鮮明さなど、かなりこだわりがあるようです。




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グッズ購入後は帰路へ。流星デビュー時にまた来ようと思います。



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日曜日はワシクリへ。

「リゾートエクスプレスゆう」を職場以外でまともに撮ったことがなかったので、短編成の下り列車ということで、ワシクリ(水沢西サイド)へ。




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リゾートエクスプレスゆう。
この日は「お座敷ときわ路号」という、いわき行きの多客臨でした。





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北斗星(2レ)
雲ってたから久しぶりに八甫で撮ってみたものの、側面が影になるし真ん中のポール&ロープが目立つから微妙ですね。

ちなみにカシオペアは同じ構図、同じ切り位置で撮りましたが、客車が曇天+望遠圧縮で見るに耐えない
ドブねずみ色(こんな色)になってしまったので却下(^^;

2011年1月23日 (日)

流鉄流山線など

今月号のDJの特集に感化されて土曜は「流鉄流山線」の撮り乗りへ。
「流鉄流山線」は流山駅とJR常磐線の馬橋駅を繋いでいるローカル私鉄です。


重度の人ごみ嫌いで、春日部より南を鬼門と思っている私が何故わざわざ流山まで行ったかというと、流鉄で使われているのが
過去に西武鉄道で使われていた車両だからで、かつて練馬に住んでいた頃によく乗った“あの列車”をもう一度見たい、乗りたい、そして記録に残したいということで鬼門を目指すことになった次第です。


休日に最も来たくない駅1位南越谷駅から武蔵野線へ。
新松戸駅で常磐線に乗り換え馬橋駅で下車。昼前なのにわりと人が多かったです。




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JRの改札を出ると左に流鉄流山線の案内があります。
JRとは別改札(別ホーム)ですが、しっかりと案内表示されているので見落とすことは無いと思います。




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工事中のビルの手前の階段を降りると流鉄の改札に行き当たります。
入鋏は省略。降りるときに切符を係員に渡すシステムです。




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これが西武鉄道で使われていた車両の一つ「流馬」

これは西武鉄道の
新101系(※)という形式らしく、幼い頃これの黄色(運転席の周りだけ茶色)に乗った記憶があります。流馬は方向幕の片方が電灯式に置き換わっていましたが、当時の方向幕は全て白い幕のスクロール式のもので、この幕がグルグルと回るのを見るのが電車に乗ったときの楽しみの一つでした。

(※)当初「801系」と記載しましたが記事をご覧の方から「正しくは新101系」とのご指摘をいただき、確認が取れたので訂正しました。また新101系は現在も西武鉄道で運行されている現役車両です。たら様、ご指摘ありがとうございました。




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流鉄は大半が住宅街沿いを走っているので、ワシクリのような景観は望めませんが、鰭ヶ崎駅平和台駅の間にわずかながら背景に林を入れられる区間があるので、途中下車して行ってみました。


現地に着いてみると、林の反対側は細い道路を1本挟んで住宅が立ち並び、線路は林と住宅地に挟まれた“切り通し状態”となっているため、太陽が低い冬場は光が遮られて光線状態が良くないようです。結局ここでは撮りませんでした。




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さっきの場所から線路沿いを平和台方面に歩いているうちに見つけた場所。
たしか「24号踏切」でした。300mm(非換算)で左の電柱を避けて撮りました。




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平和台駅を経由して終点の流山駅へ。

続々と新興住宅が建ち並び、高速鉄道(つくばエクスプレス)が整備され、ますます都心に近付いた流山や松戸にあって、ただ独り時代に取り残され、いまや異色の存在にさえ映っている“流鉄”。





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「なの花」(元西武鉄道701系)。

流鉄には僅かな切符代しか出してあげられないけど、遠い昔、父や母に連れられて西武鉄道の電車に乗っていたあの頃の思い出にひたれたささやかなお礼に、その姿を少しでも奇麗に撮ってあげたい。

カメラマンがモデルさんを少しでも美しく撮ろうとするように、少しでも見栄え良く流鉄の元西武車両を撮ってあげたい。下手糞で申し訳ないけど。




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「流星」(西武鉄道新101系)。
「若葉」(元西武鉄道101系)。

私の子供の頃の“電車”といえば、この「若葉」タイプの車両でした。
運転席の窓の形と白い方向幕が強く記憶に残っています。
DJによると最近はほとんど運行されていないようで余命は短いそうです。




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「青空」(元西武鉄道801系)。

ネーミングが素敵です。池袋線ではあまり走っていなかったようです。
塗装では隠せなかったさび付いたパンタグラフを見ると、なんともいえない物悲しい気持ちになりました。


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この後、入線してきた「なの花」に乗りこんで帰路に着きました。

馬橋駅の常磐線ホームから、さきほど乗ってきた“なの花”を眺めていると間の通過線をE231系がモーター音を唸らせながら凄いスピードで通過していきました。

E231が走り抜けると、まるで嵐が過ぎ去るのを待っていたかのように“なの花”は『コトンコトン…』と静かな音を立ててゆっくりと流山へ帰っていきました。



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日曜はカシ・北が豪快に遅れているとのことだったので、昨日の流鉄流山線の写真を整理したりしてから久喜~新白岡に行きました。



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13時14分に通過した列車。初めて見る列車です。

真ん中の窓に2人、左の窓に1人います。幕はLEDで回送表示でした。
ちなみに13時40分頃、同じ列車が反対方向から戻ってきました。




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いつも一発目のカシオペアを失敗するのに、今日は珍しくきちんと撮れました。
AF-Cもちゃんと仕事してくれたし、こういう構図・被写体ならAF-Cでも問題なさそう。




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カシオペアから1時間13分遅れで通過。待ちくたびれました。
シャッタータイミング早すぎ。失敗作なので拡大しません(^^;

ここは中望遠で撮るのがセオリーですが、フレーミングが難しいのとパンタが串になりやすいので下から広角(標準寄り)で狙いました。で、見事に撃沈。