カテゴリー「廃線跡巡り」の記事

2013年7月21日 (日)

入川森林軌道 - 上部軌道 -

入川渓流観光釣場から4kmほどの遊歩道を一般的に「入川森林軌道」といい、その終点の赤沢谷出合(荒川源流)の先の登山道を経由した森林軌道を「上部軌道」という。

上部軌道は2009年10月(記事はこちら)に一度行っており、その時は途中の道の崩壊により探索を諦め引き返した。
ところが同年の冬、ある親子が上部軌道を終点まで踏破した話を耳にし、崩壊地点をどうクリアしたのか疑問を抱き、また前回消化不良に終わった悔しさから、いつかリベンジしようと考えていた。

今回は鉄道跡などの紹介は省略し、上部軌道踏破への攻略を重点的に紹介したい。森林軌道の歴史などについての概略は先のリンクに記してあるので、興味のある人は参照してほしい。



2013_0720b1
2013_0720b2

川又バス停。中津川行きの一部の便がここに乗り入れているだけなので、一日上下3便ずつしか来ない。

始バスの到着が9時25分。終バスの発車が16時36分。
登山地図のコースタイムを見ると、バス停から赤沢谷出合まで2時間になっている。それを元に、上部軌道を探索できる時間を逆算すると、休憩時間を差し引いて最長3時間30分ほどになる。




2013_0720c

入川渓流観光釣場。看板が新しくなっていた。
自家用車はこの釣場まで来られるが、公共交通機関の場合はバス停からここまで歩くことになるので、その分時間が掛かる。

あまりのんびりできないので撮影は手短に済ます。




2013_0720d

遊歩道の途中にバリケードで道がふさがれている箇所があるが、普通に通れる。ここは左のバリケードを越えて進めばいい。

今回は上部軌道の崩壊に備えて補助ロープやテープスリングを持参したので、その分荷物を減らすため機材はコンデジだけにした。

コンデジはこういう薄暗い場所ではすぐにぶれるし、ストロボのチャージが遅いので撮影に無駄な手間と時間が掛かる。
だがデジタル一眼レフは首から提げて使うには邪魔で重い。登山における重量増と容積増は切実な問題だけに、画質と重さの兼ね合いにはいつも頭を悩ませる。永遠の悩みの種だと思う。




2013_0720e1
2013_0720e5
2013_0720e4
2013_0720e6

早く先に行こうと思っているのに、綺麗なのでつい足を止めてしまう。
これは不可抗力としかいいようがない。
私が悪いのではない。景色が良すぎる入川森林軌道がいけないのだ。




2013_0720f

『こんなことしている場合かよ』と思いつつ、遊歩道終点の荒川源流(赤沢谷出合)で記念撮影をするshige42歳厄年。




2013_0720a

では本番。
赤沢谷出合から吊橋を渡り、さらに急な登りを経て15分ほど歩くと「十文字小屋」と「山道」の分岐に着く。ここを「山道」へ進む。

↑の地図でいうと赤い線が上部軌道、青い線が十文字小屋方面、両方の線が分岐する交点が「十文字小屋」と「山道」との分岐点。

※以降、この地図を元に解説を加えていきます。写真はクリックすると拡大するので見えにくかったらクリックして見てください。




2013_0720a_2
2013_0720a1

地図上の。擁壁の手前の沢を渡る地点。
この沢は地図上には無いがコンパスと現地の地形から特定できる。




2013_0720a2

地図上の。最初の切り通し。
ここも山側の地形が尾根になっているので地形図で確認できる。




2013_0720a3

地図上の。大量の板が立てかけられている所。
ここは地形はハッキリしないが、道の形状と方位を見ればなんとなくここかなという目星はつく。




2013_0720a_3
2013_0720g

地図再掲。
図解入りの写真は地図上の「崩壊地帯」の最初の崩壊箇所。
ここは若干足場が不安定ながらも高巻ける道があるのでそこを進む。




2013_0720h1

次の崩壊地点。
「もはやここまでか」と思いたくなるが、ここはさっきとは逆に沢に下り、ガレ場(岩場)を難しそうな所を避けながら進めば越えられる。




2013_0720a_4
2013_0720i2

地図再掲。「沢が二股に」と記した地点。
たしかに沢が二股に分かれている。それさえ見落とさなければここで現在地を特定できる。




2013_0720j

前回より奥まで来れたのは間違いない。
コンパスの示す方角が西に変わったので終点は近い。




2013_0720a_5
2013_0720k1
2013_0720k2
2013_0720k3

地図再掲。地図上「←針葉樹 広葉樹→」と記したエリア。

地形図の植生記号に加え現地の看板により、地形図の作成以前に針葉樹がこのエリアに植えられたことが分かる。

植生(記号)は時代によって変化するので完全には鵜呑みにできないが、役に立つ機会が多いので侮れない。




2013_0720k4

地図上に「荒地」と記したエリア。

無数の酒瓶のほか、缶詰やジュースの缶などが転がっていた。
今回来たのは、これら遠い過去の遺物を撮影するためでもあった。




2013_0720l1

ゴール。この先で沢が二股に分かれるのでここが終点だと分かる。
途中にあった作業小屋は既に解体されたらしい。




2013_0720l2

廃線跡の有無を確認するため、ゴールからさらに先の二股の沢を行けるところまで行ってみたが、何も見当たらず調査終了。

写真は地図上。右の沢の最終到達地点で撮ったもの。




2013_0720m1
2013_0720m2

上部軌道もゴールに近づくとなかなかの景観と雰囲気で、途中思わず足を止めてしまう箇所かいくつかあった。

こんなときだけ四次元ポケットからD700と三脚一式を取り出せたらなぁと考えるが、それじゃ登山にならないといつも考え直す。
悩んだ末、荷物に折り合いをつけたりベストな装備やベストな行動を研究し、更なる高みを目指すのが登山の楽しみ方の一つだと思う。だから不便は不便で受け入れなければならないと思う。




2013_0720n1
2013_0720n3

最後に荒地付近で撮影した過去の遺物の一部を掲載。

缶詰の缶とライターのオイル。
書体からしてかなり昔のものなのは間違いない。




2013_0720n5

コーラの缶。何世代前のデザインだろう。
ざっと調べたところ缶入りのコーラの登場は昭和40年以降らしく、上部軌道の開業機関が昭和26~44年なので時期的には符合する。

私が子供の頃、コーラは缶のほかビン入りが出回っていた。500mlのビンを酒屋に持っていくと保証金として10円もらえ、1000mlのビンは30円もらえた。これで小銭を稼いでゲームセンターに行ったものだ。




2013_0720n6

スモカという製品。

缶に「愛煙家用」と書かれているので昔の缶タバコかと思ったら、どうやら歯を白くするための歯磨き粉らしい。現在も売られているそうだが缶のデザインは違うものに置き換わっている。




2013_0720n7

散乱した飯ごうや茶碗などを見ると、現地に何日も泊まり込む重労働だったのかなと思いつつも、大量に転がった酒瓶を見ると、お目付けが来ない山奥で案外楽しみながら仕事をしていたのかなとも思える。


★登山記録

■2013年7月20日(土) 晴れ 最高気温29℃ 最低気温19℃

■コースタイム(バスの発着時刻はリンク先参照)
川又バス停9:25→入川渓流観光釣場9:56→赤沢谷出合(遊歩道終点)10:58→崩壊地帯12:10→荒地12:35→終点12:44~13:20→赤沢谷出合14:23~14:53→川又バス停16:18

■総歩行距離 約16.5km(登山地図と国土地理院地形図で測定)

■交通費(主なもの) 秩父鉄道:羽生-三峰口(秩父路フリーきっぷ)1,400円、西武観光バス:三峰口-川又620円×2

■備考・注意点
・水は常に補給できる。
・赤沢谷出合まではキャンプ場や渓流釣りの人たちが散策に来るのでそこそこ人が多い。その先はほぼ無人なので静かに歩ける。
・バスで遊歩道を散策しに来る人がいるだけあって景色が良い。紅葉の時期は相当混雑すると思われる。
・バスは2013年現在1日3本(土日)しかない。上部軌道は道が細く不安定な箇所があるため、探索時間には十分余裕を持ちたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年4月29日 (月)

木戸・竜田駅・金山隧道再訪 - GW撮影旅行その2 -

前回(GW撮影旅行1 - 磐越東線 夏井千本桜 -)からのつづき。

きっかけは、たまたまどこかのサイトで「竜田駅まで立ち入りできるようになった」と知ったことだった。

「竜田駅に行けるなら金山隧道にも行けるのではないか」

そう考えるのは当然な流れで、さっそく福島県の道路総室規制状況等から情報を辿ると、隧道付近まで行けそうなことは判明したが、
決め手が得られない。そこで震災以降に金山隧道を探訪した廃線マニアのサイトを探したがこれも見つからなかった。

ならば自分で確かめるしかない。そういう結論になった。



2013_0427h1

常磐自動車道を広野I.Cで下車。
なお2013年5月現在、広野I.Cから終点常磐富岡I.Cまでの間は、災害通行止め規制により通行できなくなっている。




2013_0427h2

一部の交差点には警察車両が停まっていた。

GWにこんな所へ来るのは自分だけだと思っていたのに、
常磐道にしてもこの付近にしても、そこそこ車が走っていた。ナンバーを見ると他県ナンバーが多く、運転者は私のようなおっさんから興味本位っぽい男グループなど、いかにもなメンツばかりだった。

私もそのうちの一人だといえばそうだが、決してにわかではなく、この地はかつて列車や車で何度か訪れ、その思い出を引っさげて再訪していることだけは強く念を押しておきたい。




2013_0427i1

常磐線木戸駅。
2013年5月現在、東日本大震災の影響により、列車の運行ならびに駅窓口業務は休止している。

ただし2012年8月の避難指示解除準備区域移行(立ち入り可、宿泊禁止)により、木戸駅と竜田駅に立ち入れるようになった。




2013_0427i2

駅の入口とトイレには板が打ち付けられ、中には入れなかった。
ポストは使用できないようにビニール袋が巻かれている。




2013_0427i3

子供の頃、休みになると亘理の田舎に帰るのが恒例だった。

年に1度は私と2歳下の弟の二人で帰郷させてもらえた。これが私たちにとって親の監視から放たれて旅行できる最高の楽しみだった。(後で聞いたらお金の問題でそうするしかなかったらしい)
帰郷はもっぱら東北本線(はつかり)と常磐線(ひたち)で、一度だけ東京駅の八重洲口から夜行バスで帰ったことがあった。

私は当時地元だった西武池袋線と帰郷するときに利用した東北本線、そして常磐線の駅名を始発駅からすべて暗記しており、常日頃時刻表を眺めては学習(?)を怠らなかった。

…だから木戸駅は知っている。
広野→木戸→竜田→富岡……これらの駅名をスラスラ言えるのは当然だったし、それを人には言えない自慢にしていた。




2013_0427i4

駅のそばの踏切から竜田方を眺めて。
いつかこの草が払われ、レールに再び輝きが戻ると信じている。

常磐線で帰郷するとき、一つだけ気に入らないことがあった。
それは茨城北部から特急列車の停車駅がやたらと増えることだった。

後で知ったのだが、いわき以北は(一部を除いて)単線になるため、運行本数や交換などの都合上、特急列車といえども停車駅を増やさざるを得なかったそうだが、そんなことなど知らなかった当時の私は、「特急のくせに」と情けなく思っていたし、はつかり擁する東北本線に比べ、常磐線は格下という印象を否めず、その点だけが残念でたまらなかった。




2013_0427i5

除染作業中の車と作業員たち。
こうした地道な仕事がやがて復興に繋がるのだと思いたい。




2013_0427j0

竜田駅。車で向かっているとき、ずっと胸がドキドキしていた。

まさかもう一度来れるとは思わなかった。
もう二度と立ち入れないと思っていたのに…




2013_0427j2

立て掛けられた看板が震災当時のままなのが痛ましい。

もし震災が起こらなかったら、2年前の3月と4月にクレヨンしんちゃんがいわきに来ていたはずだった。一度止まった時間を振り返る意味においても、後年歴史を振り返る意味においても、この看板はできればこのままにしておいて欲しいと願う。




2013_0427j3

荒らされた駅前の自販機。

今年のGWは避難指示解除準備区域などでの宿泊が特例で認められたこともあり、「戸締りに十分気をつけるように」との町内放送がしきりに流れていたのが印象的だった。




2013_0427j4

竜田駅の駐輪場。
ここも震災当時のままかと思いきや、駅の水洗トイレは普通に使えた。

もしかしたら復興に携わる人たちや、特例で泊まりに帰っている人たちのために一部の施設は機能しているのかもしれない。




2013_0427j6

竜田駅そばの龍田神社。石灯籠が無残に倒れている。

そういえば神社の賽銭箱にお賽銭を入れるとき、以前は願い事を念じていたものだが、最近は考えが変わり、平穏無事に生きていられることへの感謝を報告するようになった。

「震災後も通常通り生活していること」
「こうして無事に旅行できること」

お賽銭にそれらの感謝の気持ちを込めて次の目的地を目指した。




2013_0427k1

金山隧道近くの墓場。

廃線マニアには「例の墓場」で通じる場所だが、一応書くとお墓の住所は福島県双葉郡楢葉町井出萩平。この住所を地図サイトの検索マスにペーストして部分図を表示し、そのまま線路際に移動すると線路の西側に細いY字路があるので、このY字路の交点のすぐ左上がお墓のある場所。

念のためもっと確実に分かる方法を紹介しておく。

■国土地理院の地図サイト電子国土ポータルに行き、プラグインをインストールするなりして地図を見られる環境にする。

■地図が表示できるようになったら「座標を指定」のマスに「37.28893611,140.99885417」の数字をペーストし、移動ボタンを押す。

■その状態から画面右上の拡大縮小アイコン(虫眼鏡のアイコン)をクリックし、中心をクリックしながら地図を拡大する。(マウスのスクロールボタンを使って拡大すると中心の位置がずれてしまうので注意)

■拡大していくと丄(墓のマーク)が確認できる。そこがお墓の位置。

お墓からは線路脇の雑草地を北に進む。




2013_0427k2

これが線路脇の雑草地。近づくと道だとはっきり分かる。

ちなみに脇の現在線は列車が走っていないので線路の上を歩くことは可能だが、廃線探索によって生じた結果はすべて自己責任であり、この趣味自体“暗黙の了解”の上に成り立っているので、線路の上を歩くことは当然ここではお薦めしない。




2013_0427k3

線路沿いを進むと現在線(休止中)の金山トンネルに行き着く。
ここを左に折れてちょっとした藪を進むと“あの場所”にたどり着く。




2013_0427k4

まさか再び来れるとは…
隧道と社紋を再び目にしたとき思わず胸がいっぱいになった。




2013_0427k5

2013_0427k6

最初にここを訪れたのは4年前(記事はこちら)。
6月の雨の日、当時一緒に廃線歩きをしていたgamiさんと来た。当時もこの隧道の入口を見たとき、すごい衝撃を受けた。

震災後の荒廃を心配していたが、隧道入口までは4年前と何ら変わらず、軍手と長靴だけで充分事が足りた。




2013_0427k7

ここを再訪したのは、当時のへっぽこコンデジではなく、ローンを組んでまで購入したD700で美しく撮影することが主な目的である。

…たしかに綺麗には写るが、フラッシュを炊いたりWeb用に加工するとD700のアドバンテージが薄れるのが気に入らない。本当に気合を入れて撮るなら三脚持参で長時間露光するしか無いと思う。




2013_0427k8

2013_0427k9

上はホワイトバランス「オート」で撮影したもの。下は「高演色蛍光灯」で撮影したものを若干調整したもの。

隧道内が明るければ上とほぼ同じように見えるはずだが、実際は下のほうが見た目に近い。つまりより不気味に見える。

隧道内は怖さによる増幅効果も加わり、とても寒く感じる。




2013_0427k10

怖いのでそこそこまで進んで引き返すことにした。

外の明かりが見えるようになると、とても心強く感じる。ホラー映画では、この辺まで来ると背後の暗闇から這いずる音が聞こえ、出口に近づくにつれて背後の音と息遣いが近づいてくるのが定番だ。

そんなことを考えながら出口に向かっていたので本当に怖かった。




2013_0427k11

と言いつつ、被写体を見ると撮影に没頭してしまう。
まるで生命が水と光を求めて生きながらえようとしている姿に見える。




2013_0427k12

不気味なので出ようと思ったが、出口からすばらしい青空が見えた。

絶望から這い上がった感じを写真にすると、こんな感じになるのかなと思いながらも、構図が甘いのか、しっくり来ない。




2013_0427k13

2013_0427k14

旧日本鉄道の立派な社紋。
ここにはもう二度と来れないと思っていたのに再び来ることができた。

全国には私と同じく、もう二度と来れないと思っている廃線ファンがいるかもしれない。そんな人たちがここにたどり着き、金山隧道を再訪するきっかけを持ってくれたら、私としても嬉しい。

次回は「GW撮影旅行3 -真岡鉄道撮影など -」です。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2011年8月28日 (日)

奥羽本線4連スイッチバック跡再訪

18きっぷラストは奥羽本線の福島-米沢(山形線)の廃線巡りへ。

旧大沢~赤岩までの「4連スイッチバック跡」は2年前に探訪しているので、今回は赤岩~板谷間に残存する旧線のトンネル跡を探索した。





20110827b

6時半に久喜駅で待ち合わせ、東北線を乗り継ぎ福島駅へ。

福島駅に着くまで検討した結果、電車移動のため探索時間が限られ、途中で探索を打ち切る可能性が高そうなことから予定を変更し、福島駅でレンタカーを借りてスイッチバック跡を再訪することにした。





20110827c

福島駅で福島交通飯坂線とあぶくま急行を記念撮影。
ともに好きな路線で、いつかロケ地を探しながら撮影しようと思っているのだが、果たしてその日は来るのだろうか…

※2013年2月に阿武隈急行を撮影しました





20110827d

レンタカーで移動中。市内を抜けて国道13号線へ。
天気は須賀川~郡山まで本降り、福島市内は終日曇り空だった。





20110827e

関根駅そばの踏切。
撮り鉄はしないつもりだったが列車が来ると反射的にカメラを構えてしまう。





20110827f

まずは4連スイッチバック米沢方の最初の駅「大沢駅」へ。

大沢駅は旧駅のプラットホーム跡が現在駅の入口になっており、そこから廃線を伝って現在駅まで歩いていける。

上の写真はプラットホーム跡と現在駅までの案内図。下は現在駅のホームから撮った関根(米沢)方の写真。よく見ると線路が3本写っているが、一番左が廃線跡、右の2本が現在線。





20110827g

峠駅。「峠の力餅」が有名だ。

ここは人っ気が多いので馴染めないし、あまり好きになれない。





20110827h

続いて板谷駅。

旧板谷駅は地元の子供たちが大勢遊んでいたのでスルーした。
代わりに2年前に来たときの写真を再掲。


【旧板谷駅プラットホームと案内図 ※2009年9月5日撮影】
2009_0905_06a


【旧板谷駅舎 ※2009年9月5日撮影】
2009_0905_06b


【旧板谷駅プラットホームと駅名標 ※2009年9月5日撮影】
2009_0905_06c







20110827i

最後は秘境駅で有名な赤岩駅へ。

車の場合、駅の北の大平集落から登山道のようなつづら折の砂利道を途中まで下り、あとは徒歩で来ることになる。駐車スペースのある集落の端から駅までは徒歩20分、上りは徒歩25分ほど。

写真上:旧駅のプラットホーム
写真中:旧駅の駅名標
写真下:現赤岩駅(踏切を渡った先。右の白い建物は待合室)





20110827j

写真上:駅ホームから板谷方をのぞむ。
トンネル左の草むらがスイッチバックの引き上げ線があった場所。

写真下:旧赤岩駅ホーム付近から庭坂方をのぞむ。
左の大きなトンネルがスイッチバックのための突っ込みトンネル。
その右のはるか下界に見えるレールが現在線。

突っ込みトンネル(旧線)と下界のレール(現在線)との高低差を見るだけでも、この区間の勾配の険しさがよく分かる。





20110827k

赤岩駅付近から対岸(南側)の李平地区をのぞむ。

事前の計画段階では、もし板谷からの旧トンネル沿いに赤岩まで歩きとおせるルートを見つけたときのために、赤岩駅北の李平集落のピークから駅に向かって降下するルートを検討していた。だが現地を見ると厳しそうだ。

なお斜面に林立している白い柱の道が李平からの降下ルート。
頂上から3分の2辺りまでは藪が薄い頃なら降りれそうだが、その下と川を越えて駅に登り返すまでの道が手ごわそうだ。





20110827l

福島駅に戻ってレンタカーを返し、帰路へ。

ちょっとしたアクシデントでレンタカーを返すのが遅れて電車を一本逃がしたため、郡山から先はすべて終電での乗り継ぎになった。
久喜駅で降り、私は自転車を置いた新白岡駅まで歩いて帰宅、gamiさんは奥さんに車で迎えに来てもらったようだ。



青春18きっぷは旅の教材のようだ。
使うたびに新しい発見があるし、自分に適した利用法が見えてくる。次回は18きっぷと旅を通じてどんなことを学び、どんな楽しみ方を得るのか

いまから発売が待ち遠しい。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011年8月24日 (水)

思い出のあの場所 - 金山隧道 -

私がよく聴くクラシック曲に「亡き王女のためのパヴァーヌ」という曲がある。この曲を聴くと、なぜか季節外れの静かな海を思い浮かべる。

思い浮かべるのはいつも2箇所。
一つは一昨年gamiさんと行った常磐線旧線で見た海とトンネル。
もう一つは4年前に一人で旅した岡山県の真鍋島。





20090606a

2009年6月6日の常磐線「竜田駅」。現在は立ち入り出来ない。
記念に何気なく撮った写真が忘れ形見のようになってしまうとは…

※2013年以降立ち入り可。ただし駅は閉鎖されている。





20090606b

竜田駅で写したスーパーひたち。

まだ撮り鉄に興味がないときにコンデジで撮ったものとはいえ、あまりの下手糞さに、ただただあきれるしかない。





20090606c

金山隧道。廃線マニアなら誰もが知る名所だ。
初めて見たときは、その見事な姿に圧倒された。






20090606d

2009年の末続駅。
震災から1年ほどは駅舎は閉鎖され復旧が進められていたが、
現在は運行はもとより、駅舎としての機能を回復している。





20090606e

廃線巡りの途中で見た海。
亡き王女のためのパヴァーヌを聴くと思い出す海辺。

誰もいない季節外れの静かな海。
お金と時間に余裕があったら、そんな所へふらっと旅してみたい。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年10月18日 (日)

鉄道廃線跡 - 入川森林軌道上部軌道 -

※2013年7月に上部軌道のリベンジを果たしました。記事はこちら


「入川森林鉄道」は昭和44年まで埼玉県奥秩父地方で操業していた森林鉄道で、現在、存在が確認されている軌道だけでも4つある。

1つ目は「奥秩父運輸組合」という組織が敷設した下部軌道で、秩父湖東部の二瀬ダム付近から西の「栃本下」という地区まで荒川沿いを走っていたという軌道。開通は昭和7年。

2つ目は更に西の川又八間橋から「赤沢谷出合」まで入川沿いを走っていた軌道で、入川森林軌道の廃線跡の中では最も有名かつ、最も多くの痕跡が残存している。書籍等で「入川森林軌道」と一まとめに総称されている場合、殆どはこの区間を指しているとみて間違いない。開通は昭和11年。

3つ目上述の二つの区間を結ぶ連絡軌道で開通は昭和7年。

4つ目は2つ目「入川森林軌道」の終点の「赤沢谷出合」から更に上流に敷設された「上部軌道(赤沢作業軌道)で、開通は昭和26年。

…以上、故宮脇俊三著「鉄道廃線跡を歩く X」の記述を参照。


現在、「下部軌道」と「連絡軌道」は舗装されて痕跡が残っていないらしい。また「入川森林軌道」は既に訪れていることから、今回は「上部軌道」を廃線仲間のgamiさんと巡ることにした。



起床は4時半。
最近は便が同じ時間に出なかったり一日数回に分けて出る状態が続いていたが、今朝はとりあえず出てくれたので安心する。しかしそこで気が緩んだのか、髭を剃り忘れ寝癖を直すのを忘れたまま家を出てしまった。

無精ひげをジョリジョリとさすり、ぴょんと跳ねた後ろ髪を手で押したり指で曲げて戻したりしながらgamiさんの車に乗り込み、5時半に出発。





2009_1017_01

近くのコンビニで朝食と行動食を買い、R125~R254経由で秩父を目指す。

道の駅あらかわで小便を済ませてgamiさんが脱糞し終えるのを待っていると急に“大”がもよおしてきた。最近は朝に一度“大”を済ませた後、も再びもよおすことが多く、これが出先などのどうにもならない場所やタイミングで来るので困る。

先は長いので今のうちに済ませておきたかったのだが、車に鍵が掛かっていてティッシュを取り出せなかったので、gamiさんが戻ってくるのをモジモジしながら待っていると、突然下腹部からゴォーッ、ギュルルーッと変な音が鳴って便意が消えてしまった。後で大変なことにならなければ良いが…





2009_1017_02

8時半、入川渓流観光釣場の手前の駐車場に到着。

まずは去年訪れた入川森林軌道を、終点の赤沢谷出合まで歩く。
この区間は距離5kmほどの林道でスニーカー履きでも歩ける。

写真は線路がオメガループしていた箇所で林道から少し逸れた所にある。





2009_1017_03
2009_1017_16

柔らかい木漏れ日が差し込み、エメラルドグリーンに澄みきった沢を見下ろしながら枯葉の舞い散る林道を歩いていると、ついついこの林道がフェンスも何も無い断崖に面していることを忘れそうになる。





2009_1017_04
2009_1017_06a

ここが赤沢谷出合(荒川源流)。
荒川と二つの沢が合流する地点で水流はそこそこ激しい。

ここには木製のベンチと森林軌道のあらましが書かれた看板と、周辺の山や峠や山小屋などへのアクセスが書かれた看板が立てられている。

今日探索する「上部軌道」は、ここから登山道に取り付き、最初の急登を登って吊り橋を渡り、もう一つの急登を越えた地点からスタートする。





2009_1017_05

荒川とアカギ沢との合流地点から上を見上げる。
はるか上方に吊り橋の2本の支柱が見えるのが確認できる。





2009_1017_06b

赤沢谷出合には上部軌道のほか、沢を横断して直進するルートがある。

その直進ルートの目前に見えるのが写真中央の橋台だが、この橋台とその先に続く山道がいったい何のために作られ、いったいどこへ続いているのか、未だに解明されていないらしい。





2009_1017_07

さきほど下から見上げた吊橋。
辺境の登山道には似合わない頑丈な橋なので安心して渡れる。





2009_1017_08a

吊橋から更に登るとちょっとした平地にたどり着く。
残存物やネットの情報からすると、ここが上部軌道のスタート地点らしい。

一箇所に捨てられた一升瓶は上部軌道操業時の作業員の物だろうか。

高度成長期の慌しいさなか、今と違って何もかもがおおらかだった時代。
作業の合間に物陰で一杯隠れ飲み、それを見つけた仲間と「馬鹿野郎!俺にもよこせ」なんてやりあっていたのかもしれないと想像すると、まだ自分が生まれていない遠い昔の知らない世界での出来事なのに、不思議とノスタルジックさを感じてしまう。





2009_1017_08b

こんなものを見つけてしまった。
「アクエリアスレモン」……そうそう、こんな商品たしかにあった。

これも作業員が残していったものかと色めき立つも、よく考えると上部軌道は昭和44年に廃線になっているので、その可能性は無さそうだ。たぶん登山客が捨てたものだろう。





2009_1017_09

赤沢出合から上部軌道のスタート地点までは、勾配は少々キツイが登りは短く、また踏み跡もしっかりしているので問題なく登れる。
ただ、地滑りが気になって仕方がない。

この先に切り通しが二箇所あるのだが、ウェブの情報によるとその先が地滑りを起こしているらしいのだ。

当たり前のことだが、地滑りは地面が滑りやすくなっているから起こるのであって、そこを通ろうとすれば滑るのは必然で、もし先を進むのであれば、ロープなどの何らかの補助が必要になる。
ただ、ロープを使うにしても支点がなければ話にならない。





2009_1017_10

登山道(十文字峠)と上部軌道(山道)との分岐点。
ここまでは特に難所は無い。スニーカーでも問題ないだろう。





2009_1017_11

多くの人は登山道を目指すからだろうか、山道(上部軌道)に差し掛かってから上部軌道の残存物を多く見かけるようになった。

写真上から「線路と枕木の跡」、「枕木の墓場」、「橋台(左)と擁壁(右)」





2009_1017_12

少し歩くと切り通しが二箇所。

…と、簡単に書いているが、実際はここに来るまで路面が滑り落ちていて進むのにちょっとした覚悟と時間を要する箇所がいくつかある。
とはいえ、ここまでまだ道具を要するほどの難所はない。





2009_1017_13

擁壁に枕木が立てかけられている。
不思議な光景だが、誰が何のためにこんなことをしたのだろうか。





2009_1017_14

スタート地点から1.5kmほど歩いた場所。ここでリタイアした。

軌道跡は予想通り地滑りを起こしていた。樹木も岩石も滑り落ちているのでロープの使いようがない。
とりあえず地滑りしていない箇所から沢に降りて上りなおせるか探ってみた。沢を何度か左右に渡る必要があるが100mほど先までは進めそうだ。

…だが、その先は地滑りの斜面と岩壁に阻まれている。





2009_1017_15

リタイア地点から左上を眺める。
ここまで地滑りを起こしていると支点も何もあったものじゃない。

コンデジの画像なので勾配や距離感が掴みづらいが、写真左の擁壁は上部軌道沿いにあるので、高さは擁壁=上部軌道となる。その高さのまま右に進もうとすると……歩ける道が存在しないのが分かるだろうか。


『残念だけど、この先に行くのは諦めたほうがいいと思います』

そうgamiさんに言うと、同じ事を考えていたらしく即座に納得してくれた。
もし、どうしても行きたいと言うなら、一食分の非常食を抜いてザックごと手渡して自分はここで待機するつもりだったので、良識ある人と行動できて良かったと思う。





2009_1017_17

消化不良な廃線巡りになってしまったので、帰路は秩父市街からR299に入って高麗川近辺にあったというセメント工場の廃線跡を偵察した。

ただ残念ながら、廃線跡のほとんどは現在企業所有地となっていて、セメント会社に近い線路跡は、このとおり架線を残すのみになっていた。





2009_1017_18

反対に、セメント会社に遠い住宅地側は線路や踏切やバラストなど、ほぼ完全に奇麗な形で現存しており、地元住民の散策路や通勤・通学路に使われていた。


この写真を撮る少し前、隣の踏み切り跡で線路や周囲の風景を一心不乱に一眼レフで撮影しまくっている中学生くらいの少年を見た。

この少年が廃線マニアか分からないが、高齢化が進み、中高年がひしめく廃線マニアの未来に少しだけ明るい光が差し込んだように思えた。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年9月12日 (土)

鉄道廃線跡 - 奥羽本線4連スイッチバック -

9月5日、職場の先輩で廃線仲間のgamiさんと奥羽本線の大沢~赤岩間に存在した「4連スイッチバック跡」を見に行った。

奥羽本線の廃線跡については、宮脇俊三著「鉄道廃線跡を歩く」に2部にわたって紹介され、同書8巻には庭坂~赤岩間、10巻には赤岩~板谷間の廃線跡が掲載されている。

初めて廃線跡を知った人のために説明すると、まず「奥羽本線」は「福島~青森」を結ぶJRの幹線鉄道で、そのうち「福島~新庄」が山形新幹線の経路と重なることから他とは異なる形態で運行されている。
そのうち「福島~米沢」が普通列車の運転区間として区分され、そのうち「庭坂~赤岩」と「赤岩~板谷」がトンネル付替工事やスイッチバック廃止に伴う廃線跡として現存している。なお“4連スイッチバック”で有名なのは「赤岩~板谷間」である。


…ここまで読んで理解していただけただろうか?
上のゴチャゴチャした説明を読む気になったろうか?
おそらく大半の人は『ゴチャゴチャ書いてあるが東北に廃線があったんだな』としか思わなかったのではないだろうか。

というわけで、初めてここを読む人のために図説を織り交ぜて書こうと意気込んだものの、風呂敷を広げすぎて収拾がつかなくなり、また日数を開けすぎて書くのが面倒になったので、詳細はgamiさんのブログをご覧いただくということで平にご容赦願いたい。




2009_0905_02a

2009_0905_02b
旧大沢駅。

新駅への案内板が設置されているのは、駅に来た人がここを現在の駅と間違えるのを防ぐためだろう。
旧駅の撤去には金が掛かる。
この廃線跡も当面は野ざらしにされるのだろう。




2009_0905_02c
現在の大沢駅。
無人駅は好きだが、ここは駅舎が新しすぎて情緒が感じられなかった。




2009_0905_03
鈍行列車は1~2時間に1本(少ない時間帯では5時間に1本)しか来ないのに、新幹線は20~30分に1本の割合で来る。

経営的にはそのほうが合理的だろうけど…




2009_0905_04a
2009_0905_04b
旧峠駅。
「峠の力餅」なる食べ物が有名らしい。




2009_0905_04c
旧峠駅のプラットホーム上から。

ススキが田舎っぽい雰囲気を醸し出している。
ススキは秋の情緒が感じられるし、触ると気持ちいいし、気持ち悪い害虫がいないのが良いい。




2009_0905_04d
突っ込みトンネル。
「突っ込みトンネル」とは出口の無いトンネルのことだそうだ。




2009_0905_05
峠の力餅で軽く腹ごしらえ。
久しぶりにずんだ餅を食べたが、つきたての柔らかい餅で美味かった。
でも5個で800円は高い。せめてお茶くらいサービスして欲しかった。




2009_0905_06a

2009_0905_06b
旧板谷駅と旧駅舎。
しかし駅の作りがどれもワンパターンで飽きる。




2009_0905_06d
新幹線を撮影。
渾身の一枚。まるで運転手が私のためにわざわざ電車を停(ry




2009_0905_07a
赤岩駅前。
登山道にしか見えない険しい林道を下りないと辿りつけない。
それだけでも凄いが、それを普通の車で下りるgamiさんも凄い。

しかし見事な廃れっぷりである。ようやく私もボルテージが上がってきた。




2009_0905_07b
駅舎はスイッチバック廃止の際に建て替えられたので、わりと新しい。




2009_0905_07c
赤岩駅ノート。
gamiさんは興味なさげだったが私は貪るように読んだ。

秘境駅の多くはこんな「駅ノート」が設置されているらしい。
駅ノートは秘境駅の証のようなものなのだろう。




2009_0905_07d_3
新幹線もいい加減飽きてきた。




2009_0905_08a

2009_0905_08b
赤岩駅から庭坂方面へ200mほど歩いたところの突っ込みトンネル。




2009_0905_08c
赤岩駅前道路。
こんな駅誰が利用するんだと突っ込みたくなる過疎ぶりがたまらない。

写真だと勾配のきつさが伝わらないのが残念。




2009_0905_09a
以下おまけ。

今年6月の磐越西線廃線跡巡りで見つけられなかった「旧中山宿駅」とスイッチバック跡を確認するため帰りに立ち寄った。




2009_0905_09b
2009_0905_09c
なんというのどかさ…
逆光にうっすら黄金色に輝くススキが情緒をそそる。

子供の頃、十五夜に自宅の縁側で月を見ながら団子を食べたのを思い出した。帰ったら団子でも作ろうかなとこのとき思ったが、家に帰ったら面倒くさくて結局作らなかった。

帰りは安積PAでソースカツ丼を食べ、薄皮饅頭を買って帰った。
PAの飯というと、どうしても昔の不味かった頃のマイナスイメージがあるが、ここのソースカツ丼は美味しかった。

自宅到着は19時30分。総走行距離680km。
gamiさん運転お疲れ様でした。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2009年7月20日 (月)

鉄道廃線跡 - 東武鉄道矢板線 -

「東武矢板線」は、東武鉄道新高徳駅からJR矢板駅までの23.5kmの区間を結んでいた鉄道で、詳細はこちら(Wikipedia)が参考になる。

開業は大正13年、廃線は昭和34年。
まだ私が生まれてない遠い昔に活躍し、遠い昔に眠りについた。


矢板線が廃線になった詳しい経緯や理由は分からない。
しかし素人考えを書くと、矢板線は東武鉄道とJRを結ぶ架け橋として現在もニーズがありそうな錯覚を起こす。
もっとも実際はバスのほうが採算的に有利だし、廃線になった理由もその辺にあるのだろうけれど。

当初、私の廃線跡巡りは廃線の痕跡を捜すことに執着していた。
だが最近はそれに加え、廃線となった経緯や開業当初または運営時の時代背景を追い求めるようになった。
当時の鉄道会社がどのような理由から鉄道を敷設し、どのように利用され、どのように時代を生き抜き、そしてどのように時代に翻弄されていったかを空想や憶測だけでなく詳しく知りたくなった。

『歴史は謎に包まれているからロマンがある』といわれる。
たしかに真実を知ればガッカリすることは多いだろう。だがそれでも私は真実を詳しく、正確に知りたいし、その気持ちは廃線跡を巡るたび強くなっている。

つまらない前置きになったが、今日は私を「廃線跡巡り」の道に引きずり込んだ張本人のgamiさんと矢板線の廃線跡を巡った。




2009_07_18_01
上の地図は、今回探索した「東武鉄道矢板線」の廃線跡の全体を示したもので、重要ポイントはアルファベットで表示し、部分図と併せて個別に説明を加えた。廃線跡は黒の点線(部分図は紫の点線)で表示。




2009_07_18_02
まずはA - Bの部分図から。

読みやすさなどの観点から文章欄にゴチャゴチャ説明するのを避けたかったので、大まかな説明は地図上に記した。




【A地点】新高徳駅
2009_07_18a
道中gamiさんの膀胱が破裂寸前になるトラブルが発生したが、午前10時50分過ぎ、無事に東武鬼怒川線の新高徳駅に到着。

この駅が今回の廃線跡巡りのスタート地点となる。
…と、その前にお約束の撮影タイム。




2009_07_18b
渾身の一枚。
電車の撮影でこれほど完璧にピントが合ったのは初めてだ。まるで運転手が私のために電車を停めてくれたように見える。

この写真を撮ったとき今度こそgamiさんに勝ったと確信した。
だがもしかしたら、この写真には私が知らない撮り鉄の玄人ならではの要素が抜け落ちているかもしれないし、いまgamiさんに写真を見せてそれを指摘されて恥をかくのは避けたかったので、この喜びは私の心の中に留めた。




【B地点】謎の橋脚
2009_07_18c01
2009_07_18c02
新高徳駅から県道77号に入り、船生の天頂駅跡を目指したとき、gamiさんが県道の左方向(北側)に鉄橋らしきものを発見したため、急遽付近を探索した。

結局この鉄橋は鉄道とは無関係だったが、付近を散歩していた地元の人から東武矢板線に関する情報を聞けた。話によるとこの付近に矢板線の橋脚が残存しているらしい。




2009_07_18c03
半信半疑で狭い道路を車で上り、草を掻き分けて奥に進むと……たしかにあった。

草が生い茂って分かりにくいが、この川は高さ7~8mほどの断崖で両岸が隔てられ、問題の橋脚は手前の断崖から確認できた。

「鉄道廃線跡を歩く(以下「バイブル」と記載)にもないポイントだが、矢板線に関する工作物であることは間違いない。




2009_07_18d
塩谷町船生の「天頂駅跡」を目指す。

今から50年前、蒸気機関車が煙を空に巻き上げ、けたたましい汽笛を鳴らしながらこんな所を駆け抜けていたのかと思うと、一度でいいからタイムトリップして、その姿を見たい気持ちに駆られる。




2009_07_18_03
C - Dの部分図。
ともにノーヒントで探し出すのは困難かもしれない。
ここはバイブルと地図(またはナビ)が欲しいところ。




【C地点】天頂駅跡
2009_07_18e
「鉄道廃線跡を歩くII - 東武矢板線」J地点だが、バイブルの写真と現状はだいぶ異なっている。

バイブルの写真には廃駅のプラットホームがT字路辺りまで延びているが、現状では青白矢印の標識辺りまでしか残っていない。




【D地点】芦場駅跡
2009_07_18f
「鉄道廃線跡を歩くII - 東武矢板線」I地点

ここは何も変わっていない。現状のプラットホームは写真に説明を加えるまでもなく奇麗な形で残っている。




2009_07_18_04
地図上の文字はバイブルには載っているが現存しないポイント、または推測で書き入れた内容を表している。

なおF地点(バイブル上もF地点。築堤の橋台)は、2人で手分けするなどして探し回ったが見つけることは出来なかった。




【E地点】芦場⇔玉生トンネル(玉生側入口)
2009_07_18g01
2009_07_18g02
※「芦場⇔玉生トンネル」は、私が便宜上付けた名称なのでご注意。

このトンネルはR461沿いの建設会社の敷地を通り、バイブルには『地図にも載っていないトンネル』と紹介されているが、バイブルと地図を重ね合わせると矢板線の廃線軌道上に位置することが分かる。

トンネルは鉄の扉鉄で閉ざされ、残念ながら中には入れなかったが、坑内には霧が立ち込め、近付くと中からひんやりした空気が漂ってきた。




2009_07_18_05
廃線跡巡りも折り返し地点を過ぎた。

目指すは今回のメインディッシュの柄掘トンネル跡(G地点)だが、gamiさんによると残念ながらトンネルは既に埋められたようだ。




【G地点】柄掘トンネル
2009_07_18h
ここはバイブルの写真でも特に印象的で、「東武矢板線」と聞くと私は真っ先にこのトンネルが頭に浮かぶ。

このトンネル跡はかつて道路として利用されたそうだが、新道が完成してからは入口は両側とも閉鎖されたそうだ。

現在のトンネル跡は生い茂る草木に覆われ、樹海のように変わり果てている。十数年前、人々がこのトンネルを行き来していたとはとても思えない。




2009_07_18i
ゆるやかな峠を越え、塩谷町から矢板市に入った。
天気は天頂駅跡や芦場駅跡を巡った昼頃までは雨足がやや強く、それ以降は小康状態だった。

もし晴れたらgamiさんの車に2人の自転車を積んで矢板駅から自転車で廃線跡を巡る予定だった。
今日はそれが出来なかったことが少々残念だ。




【H地点】橋台
2009_07_18j
運転中gamiさんが『こっちは何もないね、この辺に何かあれば……あっ!』と、突然声を挙げて指さしたのがこの橋台。もちろんバイブルにも載ってない。

はじめ、この道路沿いの廃線跡は道路と重なっているものだと思ったが、見てのとおり橋台が道路より若干北にずれている。

道路の建設時に橋台が移設された可能性が考えられたが、橋台の根元を見ると移設された形跡は見られず、また橋台と道路との高低差が周囲の高低差とほぼ同じなので、この付近の廃線は道路よりもやや北側を通っていたものと考えられる。

以上で東武矢板線の廃線跡巡りは終了。
バイブルによると柄掘トンネルから矢板駅までは「宮川」を渡る橋梁の橋台部分が現存しるらしいが、この橋台はとうの昔に撤去され、現地も新しい橋が架けられていた。

この後は矢板駅から「日本鉄道 矢板-宇都宮」の廃線跡を探索したが、この廃線跡で唯一まともに現存する「西芦沼の橋台跡」の道筋がややこしく、カーナビを使っても発見に骨が折れたので調査は諦めて帰路に着いた。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2009年7月12日 (日)

鉄道廃線跡 - 東武鉄道熊谷線 -

無い袖を振って長距離サイクリングの秘密兵器を買い揃えたのに、あいにくの梅雨空で試走すらできない。

降水確率は30%。微妙な空模様だが、ここ数週間、週末はずっと雨で自転車に乗れなかったので、とにかく走りに行った。

目的地は埼玉県熊谷市。
かつて熊谷市~妻沼町の10kmほどの区間を昭和58年まで運行していた「東武鉄道熊谷線」の廃線跡を巡った。
この廃線跡は以前gamiさんから借りた「鉄道廃線跡を歩く」を読んで近場(約45km)ということで候補地に挙げたが、肝心の廃線跡に魅力を感じず、また廃線跡終点がかつて巡った刀水橋に近いせいもあって、何となく棚上げしていた。

出発は7時25分。
往復100km程度なのでもっと遅く出ても明るいうちに帰れるが、幹線道路が混むので早めに家を出た。



■羽生市「下川崎交差点」(AM8:19 走行距離20.3km 54分経過)
2009_07_11a
ここはR122とR125の交差点で、イオンで買物するときや羽生駅に行くときに飽きるほど通っている。そう飽きるほど。

ということで、また例の病気がぶり返してきた。
「なにか良いリタイアの理由が無いか」…と。

せっかちな馬鹿トラック運転手のクラクションを浴びながら狭い道路を走っているうち、今朝髭を剃っていないのに気が付いた。

『髭面で廃線跡を巡ったら不審人物に見られないだろうか』
『ここは良識ある大人として引き返して髭を剃るべきではないか』


…と、楽なほうへ考えをまとめようと目論むが、あいにく熊谷には知り合いはいないので髭面でも問題はない。それにいい年した親父が一人で線路や電車を撮影したり地図とにらめっこしていれば、髭がどうあろうと不審人物に見られても仕方ない。よってリタイアの理由としては押しが弱い。



■熊谷市「鎌倉交差点」(AM9:04 走行距離37.2km 1時間19分経過)
2009_07_11b
こうして結局いつも目的地まで漕ぐことになるが、それでも目的地に近付くと心が躍り胸がときめく気持ちになる。

以前からその気持ちは何か共通すると思っていたが、今日それに気付いた。“恋”だ。そう、初めてのデートで彼女を待っているときに感じるあの気持ちだ。
「自転車を漕いで恋煩い」というのも馬鹿げた話だが、仕組みはどうあれ本当に恋煩いと同じ感情を抱くのは確かだ。

ちなみに帰路に付くときは、日曜の夜に翌朝出勤しなければならないことを思い出したようなやるせない気持ちになる。



■熊谷市「第四熊谷堤踏切」(AM9:09 走行距離37.6km 1時間24分経過)
2009_07_11d
2009_07_11c01
午前9時過ぎ、目的地に到着。
熊谷市街の車道の狭さと信号の多さに閉口したが意外に早く着いた。

ここからは廃線跡巡り。
前回と同じく探索したポイントで重要な所はアルファベットを振って個別に説明を加えた。廃線跡は紫の点線で表示した。




【A地点】
2009_07_11e
左の線路が廃線。線路が緑の床を通ってないので一目で分かる。

右の2本のレールはJR高崎線。
廃線の左側の小さなあばら屋のような建物は秩父鉄道の上熊谷駅で、廃駅ではなくれっきとした現役の駅舎だ。秩父鉄道の線路は写真では確認できないが廃線の更に左を通っている。




【B地点】
2009_07_11f
ここまで並走していた秩父鉄道に別れを告げ、東武鉄道熊谷線の線路跡は右手の白いフェンスの奥に消えていく。




【C地点】
2009_07_11g
「鉄道廃線跡を歩く - 東武鉄道熊谷線」C地点はここだと思う。
1/25000の地図にも載ってない狭く細い道の先にあるので、初めて来るときは見つけるのに骨が折れるかもしれない。

熊谷市街は交通量が多いわりに道路が狭い。狭すぎる。
自家用車が細道の塀すれすれを掠めながら往来している。

この廃線跡巡りは停車スペースを見つけるだけで骨が折れるだろう。カーナビ付きの自動車(できれば軽)か自転車が必須だろう。徒歩でも無理ではないが、見所が少ないので途中で飽きるかもしれない。




2009_07_11c02
【C地点】から【D地点】まではいくつか探索可能なポイントがあるが、この区間は廃線跡が消失し、書籍の記事や地図を見てもポイントの特定が非常に困難なので、今回は探索をパスした。




【D地点】
2009_07_11h 
ここは地図と廃線の位置関係の把握が難しいので図示した。

熊谷から来る場合、県道359号→廃線跡→県道341号の順に通過する。




【妻沼高等学校案内板】
2009_07_11i
ここはどちらでも行けるが、右折先が廃線跡と一致しているため、右に進んだほうが良い。




2009_07_11c03_2
廃線跡巡りも残りわずか。
見所が少ないので自転車で巡るとあっという間だ。




【E地点】旧妻沼駅(終点)
2009_07_11j
書籍の写真(H地点)とだいぶ様相が異なっている。

現地はフェンスなどの工作物が立ち並んでいるのに、書籍の写真には丸太の柵と土盛りの跡しかない。
たぶん私が場所を勘違いしたのだと思う。




【F地点】妻沼町中央公民館
2009_07_11k01
2009_07_11k02
気動車は敷地の外の道路からも確認できる。

こうした鉄道廃線跡地を巡り、当時の車両や当時の時代背景が記されたプレートに目を通すたび、時代の移り変わりに逆らえず廃線の末路を辿った鉄道の無念さ、そしてそれを無念で終わらせず後世に伝えようとする前向きな意志が伝わってくる。




【刀水橋】2009_07_11l
「鉄道廃線跡を歩く」によると、この東武鉄道熊谷線は太平洋戦争の際、軍事的な理由で群馬県の小泉地区(現大泉町)まで線路を延長する計画があり、この刀水橋の先(群馬県側)に当時立てられた「橋脚」の一脚が残されているらしい。




【G地点】
2009_07_11m
2009_07_11c04
これが現在唯一残る橋脚で、位置的には刀水橋を渡ってサイクリングロードを500mほど下流(南東)に下ったところにある。
野球場のすぐ真横なので見落とすことはまず無いだろう。

東武鉄道熊谷線は廃線跡の痕跡を発見する魅力には乏しかったが、昔の在りし姿に思いを馳せる廃線跡巡りの本来の目的は満足できたと思う。





2009_07_11n
刀水橋からサイクリングロード(CR)を下って帰路に着く。

東北自動車道のアンダーパスからCRを外れて高速道路沿いを漕ぐ。
刀水橋から延々と向い風が続いたので距離の割には疲れた。

途中、加須IC辺りで中学生をパスしたとき、その中学生が張り合ってきた。

いつもなら造作も無く千切るのに、今日は向い風を40km走って足が棒になっていたのと、その中学生がカゴに顔が当たるほどの前傾姿勢を取って本気で鬼漕ぎしていたこともあり、姿が見えなくなるまで引き離した頃にはボトルの飲料が空になり、精魂尽き果て自販機で飲料を補給する屈辱を味わってしまった。



【走行データ】

■AM7:25出発 → 13:15帰宅

■総走行距離 104.03km(サイコン読み)
往路(自宅~熊谷駅) 37.6km(Ave27.7km/h)、
復路(刀水橋~自宅) 44.71km(Ave23.8km/h)
※残りは廃線跡巡り中に走行した距離

■諸費用 計413円
パン100円、飲料95+130円、アイス88円

| | コメント (2) | トラックバック (0)