酉谷山 - 2008/9/27~28遭難編 -
※この記事は2008年9月27日~28日に掛けて行った「酉谷山登山」の入山から遭難、そして自力下山までの記録を記したものです。
この記事は生還した当日に自宅へ向かう列車内、そして自宅に帰ってからPCで作った「備忘録」を元に書き起こしています。
文章としての体裁を整えるため多少の脚色は加えていますが、当時の状況描写や心理描写などは原則的に当時の状況、または感じたことをそのまま書いています。
その点をあらかじめご承知おきください。
★2009年8月、2013年9月、2014年4月に再訪しました。
2009年8月の記事はこちら(リベンジ失敗編)
2013年9月の記事はこちら(三度目の正直編)
2014年4月の記事はこちら
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「酉谷山」に登ろうと思い立ったのは前日(金曜)の夜だった。
当初、土曜(2008年9月27日)は熊谷の鉄道廃線跡を自転車で巡る予定だった。しかし、以前から県内で日帰りできる最遠の「酉谷山」に登りたいと思っていたのと、晩秋に入ると日没時間が早まり夜の冷え込みがきつくなることから、早く登りたいという焦りに似た気持ちが生じ、前夜になって急遽熊谷行きを取り止め、急いで登山の支度を整えた。
そのため準備が疎かになったばかりか、『日帰りだから低山と同じ装備で構わない』と甘えた考えに走り、難路を登るときに持参していた「補助ロープ」を忘れるなど、致命的な失敗を冒すことになった。
そんなわけで、前夜慌てて身支度を整え、翌朝も洗濯や身支度に追われながら朝6時過ぎに自宅を出発した。
8時44分、秩父鉄道の終点三峰口駅に到着。三峰口駅から西武観光バス「秩父湖行き」に乗り、「太陽寺入口」で下車。
乗客は私ともう一人だけで、その人は「強石」で降りてしまったので、強石から先はバスは私の貸しきり状態だった。
写真は「太陽寺入口」のバス時刻表。左が平日で右が土休日。
この時はどんなに遅くても最終便(18:52)には乗れると思っていた。
太陽寺入口バス停から10分ほど歩いたところ。
青く澄んだ川の両脇に緑に覆われた渓谷が広がっている。
舗装路を3kmほど登ると「秩父源流水」の採水工場に辿りつく。
道路脇には製品を運ぶトラックが何台も停まっている。
『ミネラルウォーターなんか、ここまで設備に金を掛けなくても、水道水のカルキを抜いて黙って売れば……』と、貧乏人さながらの下衆な考えが頭をよぎったが、本当にそんなことをしたら内部告発されて終わりだな、と気が付き、すぐに思い直した。
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太陽寺入口から5kmほど歩くと「大血川渓流釣場」に辿り着く。
駐車場は15台分ほどで、土曜朝10時の時点でほぼ満車だった。
この釣場にはトイレと自販機と売店と休憩所がある。ちなみにこの先、酉谷山頂近くの「酉谷避難小屋」まで水場は一切無い。
渓流釣場から10分ほど歩くと「東大農学部演習林入口」に着く。
見ての通りゲートが設けられていて車は通行できない。
愛読書の「埼玉県の山」には、『公園のように綺麗な演習林』と記されているが、演習林の伐採が進んでいるせいか、それとも私の心が汚れきっているせいか、あまり綺麗な林には見えなかった。
林道の終点「クイナ沢橋」。
終点に着いたは良いものの、肝心の登山道が見当たらない。
結局、登山道を見つけるまで40分ほど周辺をうろつくことになった。
酉谷山の登山道入口は非常に分かりにくい所にある。
【A:林道終点で行き止まり】
写真中上の白い砂利の上り坂がAルート(行き止まり)で、クイナ沢橋を渡らず手前で折り返す格好になる。比較的新しい道なので、一目登山道がこちらに変更されたのかと勘違いしそうになる。
【B:登坂不可】
Aルートがダメならこっち?と思いそうになるのがこのBルート。
もっとも、このルートは少し登っただけで登坂不能と分かるので、間違って登ってしまうようなことは、まず無い。
【C:酉谷山登山道】
どう見ても行き止まりにしか見えないCルートが登山道入口だった。
目印は積み上げられた「石」。
明らかに人為的に積み上げられた「石」が地面に置かれている。
この地点から奥の地滑りした道跡をトラバースしていくと、その先にかすかな踏み跡を発見することが出来る。
踏み跡を発見。念のため地図とコンパスで方向を確認する。
どうやら、このルートで間違い無さそうだ。
この先、もう少し登ると、ハッキリした登山道を確認できるようになる。
だが普段よほど登山客が少ないのか、その登山道も見失いがちに…
そういえば、休日なのに行きも帰りも誰にも出会わなかった。やはりマイナーでアプローチが長い山は敬遠されるのだろうか。
酉谷山への登山コース(大血川コース)は、さきほどの登山道入口から酉谷山頂まで地図上に点線(難路)で描かれている。たしかに実際に踏み跡が少なく見通しも良くないのでルートの確認が難しい。
木に巻かれた赤テープ(※)やコンパスと地形図を頼りに先を進む。
(※)テープに頼りすぎたことが遭難した原因(の一つ)だと思う。テープが豊富で、かつそれが正しければ面倒な読図や方位確認の手間が省けるので、心身疲れているときほど頼りたくなる。
ヤブときつい傾斜にうんざりしてきた頃、杭がある所に出た。
どうやら、ここが「熊倉山分岐」らしい。
酉谷山は登山道入口から「熊倉山分岐」までが最もきつく感じる。
登山道入口から「熊倉山分岐」までの標準コースタイムは1時間35分。この先の、「熊倉山分岐」から「酉谷山頂」までのコースタイム(60分)と比べると、やはりこの区間が一番の踏ん張り所なのだろう。
『あと少し!』と自分に言い聞かせ「小黒」といわれるピークを目指す。
踏み跡はなんとか分かるが、それよりも傾斜が凄い。
動物のように四本足で進まないと満足に登れない。
この小黒までの区間は、酉谷山の行程で最も険しく、登山道(踏み跡)が確認しづらく、視界も極めて悪い。帰りに私が遭難したのもこの区間だった。
ここが「小黒」(標高1,650m地点のピーク)。
目印は幹に巻かれた赤テープだが、テープに小さく書かれた「小黒」の文字を見ないとここが小黒かどうかを判断するのは難しい。
標高は残り約70m。ただし小黒はピークとなっているので、頂上へ行くには一度下ってもういちど登り直さなければならない。そのため数字以上にきつく感じる。
「熊倉山分岐」以降は、何度も書いているように登山道が不明瞭なので、各地点ごとにコンパスを再セットして、その都度方向誤差を消しながら進んだ。
14時、頂上に到着。バス停から5時間も掛かった。
さすがに「県内で日帰り可能な最遠の山」と言われるだけはある。
頂上は南側が伐採されており、そちらだけ展望が得られる。
頂上のスペースはやや手狭だが、酉谷山の頂上が登山客でごった返すとは想像もつかないし、そんな日は永久に来ない気がする。
山頂でメシにするつもりだったが、山頂から10分(逆ルートは15分)ほどの所に「避難小屋」があるので寄ってみることにした。
ここが「酉谷山避難小屋」。
山頂からかなり遠く感じた。本当に逆ルート15分で帰れるのか疑問。
小屋の内部。詰めれば6~7人くらい休めそう。
天井付近には銀マットと毛布が置かれていた。
「小屋」というから、狭苦しくて小汚い“掘っ立て小屋”をイメージしていたが、実物は想像よりはるかに清潔で用具も充実している。
小屋の外には水場もある。
食料さえ調達できれば、ここで暮らせそうな気がする。
『やけに寒いな…』と小屋の外の温度計を見ると、9月末の午後2時なのに、気温が11度しかない。
小屋の中で寒さを凌ぎながらメシと休憩を済ませ、足早に山頂に戻って、もう一度景色を堪能した。
そして15時過ぎに下山を開始した。
常識でいえば15時からの酉谷山下山は遅すぎる。
しかも、この登山道は「道なりに歩けば馬鹿でも下りれる安全な登山道」ではない。
…それは充分に承知していた。
承知していたのだが、『林道に出れば暗くても安全に帰れるし、出来れば翌日は丸々静養に充てたい。ならば急いで下山しよう』という甘い考えに走ってしまった。
そして、この考えが遭難に繋がろうとは、このときは想像すらしていなかった。
小黒から熊倉山分岐を目指しているところ(写真はおそらく小黒寄り)。
ここまで一度も立ち止まらず急いで下山していたが、『なんかおかしいな…』と思って、ようやく立ち止まって写真を撮影する気になった。
この時点では、もう既に遭難しはじめている。
時刻は15時40分。もはやフラッシュを焚かないと写真を撮影できない。
踏み跡が見えないばかりか、数少ない赤テープまで見失った。見通しが利かないため、コンパスや地図を見ても現在地を特定できない。
そうこうしているうちに、日はどんどん沈んでいく。
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『早く下りないと……早く…』
『バスの最終便に間に合わせないと…』
焦りが焦りを呼び、頭に血が上るのが自分でも分かった。
「頂上へ登るほど登山道に行き着く確率は高まる」
こんなことは三角錐の形を想像すれば誰でも想像が付く。
したがって、このケースでは山頂へ登りなおし、山頂から下りている登山道を見つけて再度下山を試みるか、それが無理ならさっきの避難小屋に引き返すのが最も基本かつ、最も正しい行動だったのだ。
…だが、そんな基本的なことすら見失ってしまうほど、このときの私は正常な判断が付かなくなっていた。とにかく一刻も早く“下”を目指すことしか考えていなかったし、そうすることで更に迷走し、ついには下りることもままならなくなってしまったことで、更なる焦りに駆り立てられることになった。
緊張したときや動揺したときに出る、“いやな汗”が全身から噴き出してきた。
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『もう、とにかく下を目指すしかない』
それが間違いの元なのに、その後もヤブを強引に掻き分けて登山道への復帰を目指し、地図とコンパスで方位を修正しながら歩き通すも、そのうち先に進むも戻るも困難な道に迷い込み、その先で地滑りに足を取られて3mほど滑り落ちてしまった。
その落ちた先が、勾配約60度、高低差200~300mほどのエリアだった。
【上方】:直角に近い高さ3mほどの岩壁。登坂不可。
【左方】:幅10mほどの地滑りの斜面。トラバース不可。
【右方】:幅5mほどの地滑りの急斜面。トラバース不可。
【下方】:沢に至る。沢の直前に高さ約10mの断崖。
…まさに文字通りの四面楚歌。
しかも、この“四面楚歌”の状況を把握するまで、ヘッドライトの光を頼りに上り下りを何度も繰り返したため、体力と時間を消耗し、飲み水が残り100mlになってしまった。
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19時、ヘッドライトでのルート探索と帰還を諦め、ビバークを決意した。
斜面の途中に1m50cm×60cmほどの水平な地面と、身体を支えられる樹木があったので、このスペースで一晩ビバークすることにした。
ひとまず、カメラのフラッシュを周囲に向けて焚いたり、声を出して救助を求めるなど一連の行動は試みたが、ここは谷になっていて視界が良くないうえ、飲み水も残り少なく、喉が渇く行動は取りたくなかったので、すぐに諦めた。
翌朝までおとなしく待機し、周囲を確認できるようになってから行動を起こすことにした。
ビバーク地の左方向の状況。
カメラは正面(やや下向き)に構えて撮影している。
確認しづらいが、手前の樹木の奥は地滑りの斜面になっている。
正面(やや右方)の状況。
カメラは正面・水平に構えて撮影している。
右方向の状況。
これもカメラは正面・水平に構えて撮影している。
下の大きな岩はズームで撮影しているため、実際はもっと離れている。
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食料は非常食一食分とお菓子。
だが食事をすると水が欲しくなるので翌朝まで何も口にしなかった。また声を出すなど、口内が乾く行動も取れなかった。
気温は22時現在で7度。
インナー+長袖シャツ+雨合羽では寒すぎるので、レスキューシートを身体に巻いたが、それでも寒さは完全にはブロックできない。
ビバーク地の地面と身体を支える樹木(右の太い木)。
うっかり地面から足を踏み外したら、数百m下の沢まで一直線…
試しに石を落とすと『ゴロンゴロン………ゴロンゴロン………ゴロンゴロン……』と、遥か下のほうまで転がっていく音が聞こえた。
『多分、もうダメかな』
『死期って、意外とあっけなく来るんだな』
寒さに身を震わせながら、そんな事を考え続けていた。
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夜が深まり、日付が変わる頃には腕時計の気温計は6度を示していた。長袖シャツに雨合羽とレスキューシートを被っても歯や足がガチガチ震える。
とはいえ夜が明ければ行動を起こせるし、そうなれば身体も温まる。
「夜明けまでの辛抱だ」と自分に言い聞かせることで、寒さは乗り切れると思ったし、さほど悲観はしていなかった。
一番の問題は「水」だった。
遭難しはじめてから、ビバーク地を選定するまで予想以上の体力を消耗したので、飲み水をほとんど消費してしまった。
そのため、夜半から翌朝、そして沢に降り立つまでの間は、喉の渇きとの戦いだった。
「気晴らしに歌を歌う」、「食べ物を口にする」といった行動は取りたくても取れなかったし、また、そうする気にもなれなかった。
ビバーク地の遥か下では沢の水がゴウゴウと激しい音を立てている。
しかし、そこに辿りつくことができない。
沢に降りればいくらでも水が飲めるのに…
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23時頃、10mほど頭上で『ザッ、ザッ』と人が歩くような音が聞こえた。
『誰か、いますか?誰か、そこにいますかー!?』
即座に大声を上げた。しかし返事は無かった。そればかりか足音は『ザザッ…ザザッ……』と遠ざかっていってしまった。
しばらくしてから、足音が遠ざかったとおぼしき辺りから動物の鳴き声が聞こえた。『ビーッ、ビーッ』という、鹿が周囲を警戒しているときに出す、口笛に似た鳴き声だ。
非情な現実を突きつけられて、ようやく悟った。
いまの私は、何かにすがったり、甘い期待を抱いたりしてはならないということを。
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こんなビバークでは一睡も出来ないと思いきや、深夜2時頃から3時頃にかけて10分ほど眠れた(朦朧としていた?)時間帯があった。
そのとき、夢(幻?)を見た。
それは部屋でパソコンを見ながら麦茶を飲んでいるシーンだった。麦茶をゴクゴクと飲んだ直後、夢(?)から醒めて意識が現実に戻された。
『そうか…遭難してたんだっけ…』
感じたことはそれだけだった。悔しくも悲しくもなかった。
このときの私は、自分の不幸を嘆いたり悲しんだりすることすら“無駄な行為”として無意識に自制していたのかもしれない。
ため息を1回だけついた。
長い夜が明けて、ようやく朝を迎えた。
朝5時半、ビバーク地から斜面を下って沢へ降りる決意をした。
このまま居残っても、食料や水を消耗するだけで、心身ともに追い詰められるだけだし、このぶんだと、救助される前に体力や集中力が切れて転落するに違いない。
どうせ死ぬなら、沢を目指すほうがまだ希望がある。
写真は沢へ下る途中の“安全地帯”で撮影したもの。
斜面の実際の傾斜は50~60度(場所によっては90度近く)ある。
右も左も地滑りの斜面になっており、地滑りを起こしている箇所は、樹木などの手で掴まる物が無いので通れない。したがって左右に移動できる範囲は限られている。
また、急斜面で下方への見通しは常に確保できないので、樹木の間隔を見誤って下ると途中で行き止まって下りられなくなる。
そのため、いま自分が居る樹の下の樹に移動する前に先の先まで進行ルートを組み立てておき、まるで絡み合った糸を解きほぐすように、一つずつ地道に移動することを余儀なくされた。
一歩ごとに安全を確めることはもちろん、場所によっては分岐からあえて進行ルート(正解ルート)へは進まず、いったん別ルート(不正解ルート)で途中まで降りて、進行ルートの見通しを確認してから、分岐点に戻って下り直すという作業も頻繁に行った。
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下降劇での一番のガンは“地滑り”だった。半端なく滑る。
少しでも重さを加えると地面がズルズル滑って崩れ出すので登山靴が役に立たない。
…結局、300mほどのこの斜面を降り切るのに1時間40分掛かった。
これだけ慎重を期したのに、地滑りに足を滑らせて両手で幹をつかんだ格好でもがいたり、手近の樹を死に物狂いで掴んだりした。
ロープさえあれば、ものの30分で安全に下りられただろうに…
沢へ降りる直前。最後の難関。
今回の遭難劇で最も絶望した場面。
ここで、沢(飲み水)を目の前にして途方に暮れた。
『こんなのどうやって降りるんだ?』…と。
しばし悩んだ末、今さら登りなおしても意味が無いことから、下りる決心を固めた。
ただし、もし「地滑りゾーン」から「断崖ゾーン(岩石)」へダイレクトに落下すると、骨折や打撲どころか、死ぬ恐れがあるので、勇気を振り絞りつつも細心の注意を払い、地滑りには渾身の力で手足を踏ん張りながら、写真中央左の縦に立て掛けられた長い樹木を目指した。
黄色点線が進行ルート。
『もし滑り落ちて骨折か打撲をしたら生還は諦めよう』
『でも死ぬなら、神様、どうか苦しまずに死なせてください』と祈ってから降りた。
「清水の舞台から飛び降りる」という喩えが、このときチラッと頭を掠めた。
7時10分。
ビバーク地を発って1時間40分後、ようやく沢へ降り立つことができた。
飲み水の問題がクリアできたので、非常食を取って休憩を取った。
あとは沢沿いに下流を目指すのみだが、ここからがまた難関だった。
これで安心かと思っていたら、この沢は川の両脇が岩肌(ゴルジュ帯)になっていて道具なしでの高巻きが事実上不可能なばかりか、所々、滝のように落差と水流が激しくなっていて、しかも、その“滝”への飛び込みを回避できない。
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結局、上着とズボン、荷物と登山靴をジップロックとビニールに包んでザックに収め、化繊のシャツとパンツ(綿は水を吸って重くなるのでアウト)と靴下(靴下はぬれると滑りにくくなる)という、変質者以外の何者でもない格好で滝へ飛び込んだ。
滝から落ちる際に岩にケツを打ったりしたものの、滝の真下は水深2~3mほどの滝つぼになっていたので足を打つようなことはなかった。ただ、水面から顔を出そうにも滝の水圧でなかなか顔を上げられず、周囲の岩もツルツルで手で掴めないので、1回目の飛び込みの際は、鼻から多量の水を吸い込んで溺れそうになった。
そんな滝への飛び込みを3回行った。
とはいえ、2回目以降は飛び込みのコツを掴んだので流れ作業的にクリアできた。
沢下りを始めて1時間強。
突然、目の前にプレハブ小屋と重機が目に飛び込んできた。
まさかの光景に胸が震え、言葉を失う。
水泳の北島康介選手が金メダルを取ったとき、『何も言えねぇ』と語っていたが、いま、この瞬間がまさにそれだった。驚きと嬉しさのあまり、何も言葉が出て来ない。
頭の中では、何か喜びの声を口にしたいと思っているのに、声が何も出ない。
10秒ほどしてから、ようやく搾り出すように喜びの声をあげた。
『助かった…俺助かったんだ…』
沢から合流したこの道、どこかで見たと思ったら先月(8月)通っていた。先月矢岳(崖崩れのため途中リタイア)に登る途中で通った道だ。
この林道は三峰口駅の二つ前の「武州日野駅」が最寄り駅になるので、今回の遭難ルートは、小黒付近から正規ルートに対して北東寄りに迷い込んだ格好になる。
迷っている最中、正規ルートより東へ歩かされているのは気が付いていたが、まさか熊倉山への道を通り越して秩父林道まで達していたとは想像すらしていなかった。
生還の喜びを噛み締めながら、濡れたシャツとパンツを着替える。
ここから武州日野駅まではまだ5km以上あるが、命が助かったのだから何kmでも歩いてやるという気持ちだった。
林道を下りている間、今回の遭難で味わった恐怖と生還の喜びを何度も振り返った。本当に、よく生還できたと思う。
沢へ下りる直前、断崖に立て掛けられた倒木が無かったら、無傷で下りることは出来なかったと思う。沢に人が降りた痕跡がないのに、まるで人が降りるために用意されたような角度で倒木が立っていたのは、まさに強運という他はない。
沢下りの際、滝の落差がすべて3m程度で済んだのも幸運だった。
長い林道を経て武州日野駅へ。
足取りはとても軽やかだった。
この後は10時27分の電車に乗って羽生駅へ。
前日買った「秩父鉄道フリー切符」が日付が変わって無効になってしまったので、切符を買いなおした。980円の損害だが五体満足で生還できたのだから安いと思わなければならないだろう。
しかし生命運は強いくせに金運は酷い。
羽生駅からは東武伊勢崎線で最寄り駅へ。
午後1時前、最寄り駅に到着。
写真は最寄り駅から自宅へ向かう途中の道。
帰宅後は腹を空かせていた金魚たちに餌をあげて、泥や木の葉などが付いたシャツやズボンや靴下や登山靴などを洗濯した。
午後3時頃、後始末がひと段落付いたので横になった。
このとき初めて、ものすごい筋肉痛になっていたことに気が付いた。
思い起こせば、地滑りに足を取られて宙吊りになりながら幹を両手で掴んだり、地滑りに足を取られまいと、渾身の力で足を踏ん張ったりしていた。
「命あっての物種」という諺があるが、今回はその諺を骨身に染みて痛感した。本当によく助かったと思う。
せっかく無事に戻れたのだから、今回の遭難の原因や装備の漏れなどをしっかり分析し、今後の登山の安全に繋がるようにしたい。
そして、二度とこんな事態にならないように気をつけたい。
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コメント
はじめまして。
酉谷山避難小屋 遭難
というキーワードで検索して、ここに辿りついた者です。
ブログ拝読いたしました。
実は私ども夫婦も、小黒界隈で先日道迷いをしました。自力で下山したのですが、このブログを読んで、凄く共感ができました。
私達は奥多摩側から雲取山に登って山頂で1泊、翌日にそこから酉谷山まで縦走、そして三峰口方面へ下山するというルートを予定していたのですが、熊倉山分岐から先で道に迷い、北西の方向に歩いてしまいました。
東大演習林の中で1泊ビバーク、翌日はまるまるその界隈でうろつき、結果としてどうにかこうにか小黒へ抜けましたが、視界も悪かった上に地図とコンパスがまだうまく使えなくて、酉谷山への道がどこかわからなくなりました。
熊倉山を目指そう、と諦め半分に気持ちを切り替えて道を進んだところ、何故か酉谷山に出ました。わけがわかりませんでしたけど…。
地図で後で確認してみても、どこを通って酉谷山へ着いたのか全く見当がつかず、なんだか狐につままれたような気分です。
結局その日は酉谷山避難小屋に1泊し、結局山に入って4日目にしてようやく下山しました。
あの山、あの山域には何か特別なものがあるように思えてなりません。
私達も、いつかリベンジしに行こうと思っていたのですが、「リベンジ失敗」のブログを読んで、ちょっと躊躇ってしまいました…
やっぱりまた迷ってしまうのだろうか…
リベンジに成功した際にはまたブログUPしてくださいね。
貴重な記録、謹んで読ませていただきました。ありがとうございました。
しかしギリギリの状態でこんなに写真を撮れているのがすごいです。私達は1枚も撮影できませんでしたから…
またブログ見にきます!
投稿: ケン&やすよ | 2010年4月27日 (火) 02時12分
はじめまして。管理人のshigeと申します。
まずは無事に下山できて何よりでした。
熊倉山分岐⇔小黒は距離的には大したことがないのに、視界が悪く踏み跡も不明瞭で目標物も無いことから、実際に歩いてみると大変さがよく分かりますよね。昼間でも暗いし、そのうえガスも出やすいしで、まるで物の怪でも潜んでいそうな印象すら受けます。
だからこそ尚更リベンジしたくなってしまうのですが…(お二人もそうなのでしょうか?)
ところで、お二人のコメントを拝読すると、私がリベンジの際に撤退を余儀なくされた「小黒⇔酉谷山頂の崖崩れ区間」を通過されているように受け取れるのですが、現在、この区間は問題なく通過できるのでしょうか?私としてもこの区間さえ通行できればリベンジは可能と踏んでいるので、もし差し支えなければお教えください。
自己満足全開の寂れたブログですが、お暇なときにでも目を通していただければ光栄です。
投稿: shige | 2010年4月27日 (火) 21時38分
あの界隈、確かに目標物という目標物もないですし、、、ガスも出やすいんですね。
確かに、我々が迷っていた時もずっとガスってました。
本当に物の怪が居そうですよね。気配がほかの場所と違うなと感じました。というか、今回点線ルートが初めてだったのですが、酉谷山から日原へ降りる最終日に、七跳尾根で矢岳への入り口を見て、似たような気配、雰囲気、臭いを感じました。点線ならではのニオイなんでしょうかね。得体の知れない怖さ故の魅力といいますか…
私(やすよ)は、何故か小学生の頃から山野草ハンドブックという学校で買わされた本を見るのが好きで、しかも毒草を見るのが大好きでした。怖いもの見たさというか、禁断の果実というか、、、そういう志向なのでしょうね。ヤバくてすみませんw
さて小黒~酉谷山頂 についてですが、おそらく崖崩れ区間は通過できるようになっているものと思われます。
私は個人的には、行き(道迷い前)のこの区間の記憶がありませんが、夫(ケン)は「崖崩れと思われる場所はなかった」と言っています。そもそも、我々はまだ登山歴8ヶ月くらいですが普通に通過できていますので、極端な難所はなかったはずですよ。ただ、道迷いの後で小黒から酉谷に戻ってくる際には、何故か地図にはないと思われるピークのようなところを2,3回越えていますので、その時通ったルートは、たぶん最短となる尾根ではないはずです。
すみません、山から帰ってきてから何故か酒の量が増えて(謎w)少々酔っ払い気味での書き込みですが、文章がわけわからなかったらごめんなさい…。
投稿: ケン&やすよ | 2010年4月28日 (水) 01時31分
怖いもの見たさというのは共感できます。
私も臆病なくせに、つい怖い番組や映画なんかを好んで見てしまいますし。
崖崩れ区間は大丈夫でしたか。
それを聞いてウズウズしてきました。近いうちリベンジにいくかもしれません。そのときは必ずブログで報告します。貴重な情報ありがとうございました。
ところで「お二人が遭難された区間」と、その後「小黒から酉谷へ向かった際のピーク」と、「私が撤退した崖崩れ区間」のそれぞれの位置を確認しているのですが、やはり、どこをどう通ったか、どこで崖が崩れていたか…など見当が付きません。
でも、そこに魅力を感じてしまうんでしょうね。まさに点線ならではのニオイ。今後こそ痛い目に遭わないよう、楽しくちょっとスリルな登山ライフを送りましょう。
投稿: shige | 2010年4月28日 (水) 21時19分
実は私も昨日登り慣れた高尾山で遭難しました。
それも城山〜陣馬の山頂に向けていつものように歩いていました。
ですが、何故か陣馬の山頂まであと2.数メートルの場所で道に迷い、気づいたら八王子城山方面に歩いていました。
今考えるとすぐに来た道を引き返せばよかったのですが、既に時間が17時すぎでありこのまま暗くなるとマズイと思い、焦りから更に進んでしまい、木に塗ってある白いペンキを目印に登ったり下ったりしました。
ですが、いつしか目印になるペンキがなく更に不安だけが大きくなり、携帯は圏外だし、とにかく時間との戦いの中、そんな時山の下から川の音が聞こえ、無我夢中で山を滑り落ちるように落ちました。
もちろん着ていた服やスパッツは破け擦り傷もできました。
なんとか川につきましたが、川の先にほんとに助かるゴールがあるのかも、この時は不安だけが膨らみ、このまま暗くなり全身濡れたままだと低体温で体力とも衰弱死すると、この時初めて自分の死に覚悟しました。
いちを、リュックにはジップロックで上着、着替えを入れており、チョコレート、水はありましたが。
川を歩く中転んだりはしましたが、奇跡的に川を少しだけ歩いたら車道にある鏡が見えたので、草の根を掴みながら車道に登り無事助かった〜って。。。
一夜が明け、改めて山の怖さを知りトラウマになりました( ; ; )
投稿: さくら | 2016年8月26日 (金) 22時44分
遭難記拝見致しました。
小生、自戒の念と平行しましての遭難記ファンと申しますか、例えば「羽根田 治」さんの著書などもいろいろと読んでおり、また各HPで皆さまがたの遭難記を拝読しておりますが、ここshigeさんの遭難記がいろいろな意味でたいへんに優れていると思いました。(或る意味で羽根田さんよりも格上だとおもいます)
とにかく、たいへん興味深く読ませていただきました。
ありがとうございました。
投稿: 南無3 | 2020年12月 9日 (水) 13時14分