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2009年7月20日 (月)

鉄道廃線跡 - 東武鉄道矢板線 -

「東武矢板線」は、東武鉄道新高徳駅からJR矢板駅までの23.5kmの区間を結んでいた鉄道で、詳細はこちら(Wikipedia)が参考になる。

開業は大正13年、廃線は昭和34年。
まだ私が生まれてない遠い昔に活躍し、遠い昔に眠りについた。


矢板線が廃線になった詳しい経緯や理由は分からない。
しかし素人考えを書くと、矢板線は東武鉄道とJRを結ぶ架け橋として現在もニーズがありそうな錯覚を起こす。
もっとも実際はバスのほうが採算的に有利だし、廃線になった理由もその辺にあるのだろうけれど。

当初、私の廃線跡巡りは廃線の痕跡を捜すことに執着していた。
だが最近はそれに加え、廃線となった経緯や開業当初または運営時の時代背景を追い求めるようになった。
当時の鉄道会社がどのような理由から鉄道を敷設し、どのように利用され、どのように時代を生き抜き、そしてどのように時代に翻弄されていったかを空想や憶測だけでなく詳しく知りたくなった。

『歴史は謎に包まれているからロマンがある』といわれる。
たしかに真実を知ればガッカリすることは多いだろう。だがそれでも私は真実を詳しく、正確に知りたいし、その気持ちは廃線跡を巡るたび強くなっている。

つまらない前置きになったが、今日は私を「廃線跡巡り」の道に引きずり込んだ張本人のgamiさんと矢板線の廃線跡を巡った。




2009_07_18_01
上の地図は、今回探索した「東武鉄道矢板線」の廃線跡の全体を示したもので、重要ポイントはアルファベットで表示し、部分図と併せて個別に説明を加えた。廃線跡は黒の点線(部分図は紫の点線)で表示。




2009_07_18_02
まずはA - Bの部分図から。

読みやすさなどの観点から文章欄にゴチャゴチャ説明するのを避けたかったので、大まかな説明は地図上に記した。




【A地点】新高徳駅
2009_07_18a
道中gamiさんの膀胱が破裂寸前になるトラブルが発生したが、午前10時50分過ぎ、無事に東武鬼怒川線の新高徳駅に到着。

この駅が今回の廃線跡巡りのスタート地点となる。
…と、その前にお約束の撮影タイム。




2009_07_18b
渾身の一枚。
電車の撮影でこれほど完璧にピントが合ったのは初めてだ。まるで運転手が私のために電車を停めてくれたように見える。

この写真を撮ったとき今度こそgamiさんに勝ったと確信した。
だがもしかしたら、この写真には私が知らない撮り鉄の玄人ならではの要素が抜け落ちているかもしれないし、いまgamiさんに写真を見せてそれを指摘されて恥をかくのは避けたかったので、この喜びは私の心の中に留めた。




【B地点】謎の橋脚
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新高徳駅から県道77号に入り、船生の天頂駅跡を目指したとき、gamiさんが県道の左方向(北側)に鉄橋らしきものを発見したため、急遽付近を探索した。

結局この鉄橋は鉄道とは無関係だったが、付近を散歩していた地元の人から東武矢板線に関する情報を聞けた。話によるとこの付近に矢板線の橋脚が残存しているらしい。




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半信半疑で狭い道路を車で上り、草を掻き分けて奥に進むと……たしかにあった。

草が生い茂って分かりにくいが、この川は高さ7~8mほどの断崖で両岸が隔てられ、問題の橋脚は手前の断崖から確認できた。

「鉄道廃線跡を歩く(以下「バイブル」と記載)にもないポイントだが、矢板線に関する工作物であることは間違いない。




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塩谷町船生の「天頂駅跡」を目指す。

今から50年前、蒸気機関車が煙を空に巻き上げ、けたたましい汽笛を鳴らしながらこんな所を駆け抜けていたのかと思うと、一度でいいからタイムトリップして、その姿を見たい気持ちに駆られる。




2009_07_18_03
C - Dの部分図。
ともにノーヒントで探し出すのは困難かもしれない。
ここはバイブルと地図(またはナビ)が欲しいところ。




【C地点】天頂駅跡
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「鉄道廃線跡を歩くII - 東武矢板線」J地点だが、バイブルの写真と現状はだいぶ異なっている。

バイブルの写真には廃駅のプラットホームがT字路辺りまで延びているが、現状では青白矢印の標識辺りまでしか残っていない。




【D地点】芦場駅跡
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「鉄道廃線跡を歩くII - 東武矢板線」I地点

ここは何も変わっていない。現状のプラットホームは写真に説明を加えるまでもなく奇麗な形で残っている。




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地図上の文字はバイブルには載っているが現存しないポイント、または推測で書き入れた内容を表している。

なおF地点(バイブル上もF地点。築堤の橋台)は、2人で手分けするなどして探し回ったが見つけることは出来なかった。




【E地点】芦場⇔玉生トンネル(玉生側入口)
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※「芦場⇔玉生トンネル」は、私が便宜上付けた名称なのでご注意。

このトンネルはR461沿いの建設会社の敷地を通り、バイブルには『地図にも載っていないトンネル』と紹介されているが、バイブルと地図を重ね合わせると矢板線の廃線軌道上に位置することが分かる。

トンネルは鉄の扉鉄で閉ざされ、残念ながら中には入れなかったが、坑内には霧が立ち込め、近付くと中からひんやりした空気が漂ってきた。




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廃線跡巡りも折り返し地点を過ぎた。

目指すは今回のメインディッシュの柄掘トンネル跡(G地点)だが、gamiさんによると残念ながらトンネルは既に埋められたようだ。




【G地点】柄掘トンネル
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ここはバイブルの写真でも特に印象的で、「東武矢板線」と聞くと私は真っ先にこのトンネルが頭に浮かぶ。

このトンネル跡はかつて道路として利用されたそうだが、新道が完成してからは入口は両側とも閉鎖されたそうだ。

現在のトンネル跡は生い茂る草木に覆われ、樹海のように変わり果てている。十数年前、人々がこのトンネルを行き来していたとはとても思えない。




2009_07_18i
ゆるやかな峠を越え、塩谷町から矢板市に入った。
天気は天頂駅跡や芦場駅跡を巡った昼頃までは雨足がやや強く、それ以降は小康状態だった。

もし晴れたらgamiさんの車に2人の自転車を積んで矢板駅から自転車で廃線跡を巡る予定だった。
今日はそれが出来なかったことが少々残念だ。




【H地点】橋台
2009_07_18j
運転中gamiさんが『こっちは何もないね、この辺に何かあれば……あっ!』と、突然声を挙げて指さしたのがこの橋台。もちろんバイブルにも載ってない。

はじめ、この道路沿いの廃線跡は道路と重なっているものだと思ったが、見てのとおり橋台が道路より若干北にずれている。

道路の建設時に橋台が移設された可能性が考えられたが、橋台の根元を見ると移設された形跡は見られず、また橋台と道路との高低差が周囲の高低差とほぼ同じなので、この付近の廃線は道路よりもやや北側を通っていたものと考えられる。

以上で東武矢板線の廃線跡巡りは終了。
バイブルによると柄掘トンネルから矢板駅までは「宮川」を渡る橋梁の橋台部分が現存しるらしいが、この橋台はとうの昔に撤去され、現地も新しい橋が架けられていた。

この後は矢板駅から「日本鉄道 矢板-宇都宮」の廃線跡を探索したが、この廃線跡で唯一まともに現存する「西芦沼の橋台跡」の道筋がややこしく、カーナビを使っても発見に骨が折れたので調査は諦めて帰路に着いた。

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コメント

 お疲れ様でした。
トンネルがなくなっていたのと、
自転車が中止になったのが残念でしたが、
新たな発見があったので 良し としましょう。

相変わらず 解りやすいですな~。
私も こういう ブログ やってみたいものです。

でも、前半の 赤い太字 は余計じゃ!

投稿: gami | 2009年7月20日 (月) 17時07分

土曜はお疲れ様でした。
自転車の件は残念でしたが、お楽しみは次回に残しておきましょう。
それにしても今年に入ってから、廃線巡りは雨続きですね。
ガンガンに晴れるのも困るけど、雨ばかりだと萎えてきますね…

投稿: shige | 2009年7月21日 (火) 21時18分

>ウイリアムさん
ウイリアムさんにお勧めのアイテムを紹介しておきます。
http://www.rakuten.co.jp/denshi/280768/263314/

これを持って古代の遺跡巡りなんかどうでしょうか。

投稿: shige | 2009年7月26日 (日) 20時00分

>ウイリアムさん
5号機の容態はいかがですか。
お困りのウイリアムさんにお勧めのサイトを紹介しておきます。
「自転車」→「ヘッド(作業難易度:高)」の順にリンクを辿ってみてください。

http://www.geocities.jp/taka_laboratory/

投稿: shige | 2009年7月29日 (水) 21時10分

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